一瞬一瞬に生じては滅しているということが宗教の世界ではよく言われます。
「私」に関連して、このことについて考えてみました。
時間と空間のない世界と時間と空間のある世界とがあると思います。
私たちは時間と空間のある世界に存在しています。
ですが、次の瞬間、時間と空間のある世界は消滅して、時間と空間のない世界に移行します。
さらに次の瞬間、時間と空間のない世界から時間と空間のある世界に移行します。
瞬間瞬間にこれら二つの世界に移行しあいながら物事は変化していきます。
瞬間瞬間にこういうことが繰り返されています。
さて、これら二つの世界で私たちは何をしているのでしょう。
通常、私たちは時間と空間のある世界しか認識できません。
ですから、私たちはこの世界にしかいないと思っています。
ですが、私は、私たちは時間と空間のない世界にもいると思っています。
私たちは一瞬一瞬に、時間と空間のない世界と時間と空間のある世界とを行き来しているのです。
では、時間と空間のない世界に移行した私たちは何をしているのでしょう。
私たちは、時間と空間のない世界で、
「これまではこうだったから、これからはこうなるだろう」
「これまではこうだったけれど、これからはこうしよう」
と思っているのです。
そして、次の瞬間、今度は時間と空間のある世界に移行して、この世界に存在する「私」
として、時間と空間のない世界で思った、その思いの実現された世界を経験します。
さらに次の瞬間、また時間と空間のない世界に戻って、
「これまではこうだったから、これからはこうなるだろう」
「これまではこうだったけれど、これからはこうしよう」
と思い、
さらにまた次の瞬間、時間と空間のある世界に戻り、この世界の「私」として、時間と空間のない世界で思った、その思いの実現された世界を経験する。
私たちは一瞬一瞬にこういうことを繰り返しているのだと思います。
ですが、時間と空間のある世界に存在する私たちは、時間と空間のない世界のことを認識していないので、時間と空間のない世界にいる私たちの思いには気づきません。
ですので、時間と空間のある世界に存在する私たちは、自分の思いとは無関係に世界は動いていると思っています。
(続きます)