“奥羽の覇者”に想いを馳せて… | S A L O N

先にもふれたが、今でこそ『鬼平犯科帳』の“鬼平”こと長谷川平蔵のイメージの強い…“よっ播磨屋!”こと中村吉右衛門であるが…

今から30年以上前に弁慶役で主演したNHK水曜時代劇『武蔵坊弁慶』(昭和61年4月9日~12月3日)は、『右門捕物帖』(昭和44年10月4日~45年3月28日(全26話)/日本テレビ系列)での、江戸南町奉行所配下の同心・近藤右門役、そして『斬り捨て御免!』(昭和55年4月9日~57年11月17日(3シリーズ・全71話)/テレビ東京)での三十六番所頭取・花房出雲役に続く、テレビドラマ・シリーズでの主演となった。

ただ、本業である歌舞伎での十八番(『勧進帳』や『舟弁慶』などを長年にわたり演じている)でもある弁慶役なだけに好評を博くし、その後のサブ・ライフワークともなる『鬼平犯科帳』へと繋がったことは言うまでもない。

この昭和59~61年の大河ドラマ枠では、いわゆる“近現代三部作”といわれている『山河燃ゆ』、『春の波濤』、『いのち』が放映されていたこともあり、従来の時代劇路線の大河ファンのために“水曜時代劇”(後の“土曜時代劇”)が企画・制作された。

従って、内容的にも少々軽く、また低予算なこともあり多少の見劣り観は否めない…(苦笑)

 

 

このドラマの見所の一つは、勧進帳を諳んじる場面は勿論であるが…

やはり“立ち往生”であろう。

兄・頼朝(菅原文太)との不和により奥州平泉に身を寄せて、藤原秀衡(萬屋錦之介)の庇護に縋るしかなくなった義経(川野太郎)、弁慶主従であったが…

秀衡の死後…頼朝の威を恐れたその子・藤原泰衡(津嘉山正種)により襲撃され…

衣川館をり囲む多数の敵勢を相手に死して尚、、義経を守り続けるという屈指の名往生場面はやはりよい!

 

実際の“弁慶”に関してはかなりフィクションの部分が多く、実在の人物か否かも含め、その生涯についてはほとんど判っていない。

史料とされる『吾妻鏡』や『玉葉』の中に登場する義経を庇護した複数の比叡山悪僧(僧兵)らの所業が集められ…

また誇張され伝説上の武蔵坊弁慶という人物像が構成されたとも考えられている。

(生年不詳…文治5年閏4月30日(1189年6月15日)に亡くなったことにはなっている。)

 

さて、その奥州・平泉といえば…平安末期、藤原氏が奥羽(東北)地方に140年間にわたり京を凌駕する程の強大な領土を築き栄華を誇った地である。

その藤原氏四代を描いたNHK大河ドラマ『炎立つ』(平成5年7月4日~翌年3月13日)では、『ラストサムライ』『硫黄島からの手紙』ハリウッド版『GODZILLA』など…今や“ハリウッドスター”ともなった主演の渡辺 謙が藤原経清、藤原泰衡の二役を演じていた。

 

渡辺 謙といえば“勝元盛次”役というよりは、どちらかというとNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(昭和62年1月 4日~12月13日)の…後に“政宗役といえば渡辺 謙”というくらい、その確固たるイメージを確立させた程の“伊達政宗”役の方がピンとくるところである。

(個人的には、“梅安”“斬九郎”役の渡辺 謙の方がシックリとくるが…)

 

 

2006年夏、一度は国宝にして世界文化遺産推薦の暫定リストにも挙げられた(当時)“中尊寺金色堂”などを直に愛でておかねば!と、思い…

“奥州藤原氏・伊達政宗”に想いを馳せた平泉~松島~秋保~仙台への旅行に出かけた。

※2011年 6月に「平泉」は世界文化遺産として認定

 

金色堂への参道

 

“伊達政宗歴史館”

 

三日月の前立てをつけた政宗の兜。

黒漆を塗った筋兜に金色の三日月という印象的なデザインは人気がある。

 

館内には政宗モノ以外にも多くの著名人蝋人形が展示されていた。

時流を反映しての展示と思われるので、現在は別の物(者)に替わっているかもしれないが…

 

政宗の頭蓋骨から復元されたという容貌像。

その骨格等から予想される政宗の声も聞くことが出来る。

 

仙台では…政宗所用の「黒漆五枚胴具足」を拝観すべく仙台市博物館に…戦国時代の甲冑に興味を持ち始めていることもあり感激も一入であった。

 

<重要文化財>黒漆五枚胴具足(伊達政宗所用)

 

残念ながら…どうも実際の政宗は謙さんとは大分イメージがかけ離れていたようで…

遺骨の調査結果によると、身長は159.4㎝。

当時としては平均的な身長のようだが、骨太、筋肉質で若干平均より頭が大きく…その分、足が短く、ずんぐりとした体系だったのだとか…

 

“粋”だとか“派手”だとかを表す言葉として“伊達○○”などと言うことがごあるが…

これは文禄元年(1592)正月早々に朝鮮出兵に際し政宗が三千の兵を引き連れての入京の折の伊達軍将兵達の出で立ちが…

旗は紺地に金の日の丸。

具足は漆黒に金の日の丸。

馬鎧は虎柄・豹柄に孔雀の羽。

陣笠は1mもある三角帽子で全て金色。

太刀や陣羽織も金色。

 

政宗の陣羽織は↓のようなポップなデザインの「紫羅背板水玉模様」であったのかもしれない。

 

紫羅背板水玉模様(伊達政宗所用)

 

そんな奇抜でド派手な装いに驚いた京の人々が…

“さすが伊達者は違う!”ということがこの言葉の由来だそうだ。

確かに軍勢全てが派手モノで揃っていたということもあるようだが…

その中心となる馬上の政宗の武者ぶりが良かったということも重要なファクターだったんだとか。

実は、このパレードの際“ブ男では絵にならん!”ということで…

(↑の写真からどのように感じになられるかは個々人によるところではあるが…)

長身で美しいと評判だった自分の妻に武者姿をさせ、政宗として騎乗させたのだとか…

つまり“男装の令嬢”を政宗と思った京の人々の…“なんと政宗はステキな武者ぶりなんだぁ~!”との評判も相まって、そこから“伊達男”=“お洒落で格好イイ男”ということになってきたようである。

 

余談だが、政宗の毛髪から…彼の血液型はなんとB型とのことで…

別に他意はないが…(苦笑)

 

【おまけ】

伊達政宗歴史館の売店で政宗を模った陶器製のボトルに入った御酒が売っていたので購入してみた。

現在も売っているのだろうか?

 

『竹に雀』という名のお酒…“竹に雀”とは伊達家の家紋のこと。