何事もそうだと思うが、張り合いがあると頑張れる。

今年の夏から初秋の私は、作文を頑張っていた。

毎日、作文していた。

理由は、読んで欲しい相手がいたからである。

相手がいると、張り合いがあって、筆が捗った。

作文とは、自分の話せる範囲の思いだと、私は思う。

学生時代は、作文なんて自分の思いがばれるだけでろくでもないと思っていた。

しかし今は、自分の話せる範囲の思いが何かのきっかけになるのであれば、作文はしても良いと思っている。

私の作文が、何のきっかけになって欲しかったかと言うと、読んでくれる相手と話すきっかけになって欲しかった。

しかしその願いは、叶わなかった。

定期的に、私の作文を相手にラインで送って、既読が付くだけの状態が続いていた。

きっと、しっかり読んでくれていたとは思う。

しかし、返事は来なかった。

更に、あるときからぱったり既読すら付かなくなってしまったので、私は、文末に感謝の言葉を添えた作文を最後に、送るのをやめた。

定期的に作文を送ることは、楽しかったが大変だった。

まず、作文のネタをこまめにメモして、それを文章にして、更に構成を考えて送っていた。

それらの作業は、時間が掛かるし、頭を使う。

なぜ、そこまでして作文していたかと言うと、私は文章を書くことが割と好きだし、相手のことが好きだからだ。

私の好きと言う思いは、相手が私の作文を読んでくれていたから、きっと届いているはずである。

私の思いは、叶わなかったが届いた。

あのレベルの方を相手にして、そこまでやれたら十分ではないだろうか。

あの方とのラインを終わりにしたので、私のあの方への思いも早く終わりにしたいが、気持ちをなかなか切り替えられない。

あの方とのラインを終わりにしたのは、ここ数日の話なので、まだまだあの方への思いを引きずってしまいそうである。

あの方は、もう読んでくれないが、これからも作文を続けたい。

作文は、知的だと思う。

私は自分の知的レベルを高めたい。

あの方が読んでくれなくなって、張り合いが無くても、私は自分の向上心の為だけに作文を続けられるだろうか。

作文を続けることは、自分との戦いである。

自分との戦いの初日が今日だ。