渥美俊一記念館 見学レポート③~3階編~です。
レポートの最後。3階は、渥美先生の書斎。渥美先生の仕事場です。もっとも興奮した部屋でした。渥美先生が講演の資料作成や執筆活動を、この部屋で、この道具を使ってされていたと思うと、胸が高鳴りました。
階段を上がると、突然、広々とした3階の空間が広がります。
奥が渥美先生の机。手前の丸テーブルは、招かれた経営者が着席するところです。
入った瞬間は情報量が多すぎて興奮。壁にかかる渥美先生の近影がまず目に飛び込みます。ペガサス教室の後ろの壁にかかっているのと同じお写真ですね。
ダイエーの中内さんは、こちらの手前のソファが定位置だったそう。
渥美先生の3大仕事道具①セロテープ台、②ハサミ、③温湿度計。パソコンを使われなかった渥美先生は、資料作りはすべて手書き。セロテープではなく、上に文字が書けるメンディングテープを使って切り張りして、資料の修正をされたそうです。
温湿度計ですが、JRCの社員さんを使って人体実験(笑)した結果、仕事の能率アップに最適なのは「温度22℃、湿度40%」だそうです。常に「温度22℃、湿度40%」を保つよう、指示を出されていたとのこと。
すごい。渥美先生の手書き資料。小から中、中から大へ「規模拡大セミナー」でしょうか。
人力車→オートバイ→4輪自動車→プロペラ機→ジェット機。「乗り物」を変えろ、というお話ですね。新しい乗り物(フォーマット)への乗り換えを恐れないこと。乗り物を変えるためにはお金がいる。オートバイより自動車の方が高いし、プロペラ機よりジェット機の方が高い。また、新しい乗り物を操縦するための教育が要る。
ペガサスクラブ機関誌「経営情報」の下書き。昭和58年から平成22年まで、329号を一人で書きつづけました。ときどきメモを書きため、その集積を原稿にされていました。原稿用紙に書かれているのがいいですね。JRCの社員さんは、この文字が解読できて一人前だそう。
映像資料でも、渥美先生がポケットプロテクターから赤ペンを取り出し、資料にチェックを入れているシーンがありました。さっそく翌日、東急ハンズでポケットプロテクターを購入して使っています。ペンケースより便利ですね。ペンケースだと鞄に入れることになりますが、よく使うペンは、スーツの内ポケットに入れたいもの。でもスーツの内ポケットに入れると、翌日別のスーツを着たときに忘れてしまうことが多々あります。ポケットプロテクターなら、帰宅した際にポケットプロテクターごと取り出すことになるので、忘れないです。
アラミス、気になります。30歳代の私にはまだ早い気がする大人の男性化粧品。小ビンの中身まで調べませんでしたが、アフターシェーブローションと・・もう一種類は何でしょう。
「出かけるとき」「海外出張に行くとき」など、目的別に用意されたチェックリスト。これが「仕組化・マニュアル化」だと、JRCレポートで桜井多恵子先生がお話されていました。
イルカと渥美先生。本当に海や魚がお好きなようです。厳格な時間管理で、どんなに多忙でもこのような時間を捻出されていたのですね。
左の蝶のブローチは、1971年、日本マクドナルド1号店開店記念に、藤田田氏からプレゼントされたもの。藤田氏がつけられていたのを、渥美先生が気に入り「ほしい」と言ったそうです。
右にあるバナーは、以前はペガサスクラブ入会時に会員証として渡していたそう。欲しい!
「渥美俊一選集」の序文で渥美先生が自分のあだ名として紹介していた「人間機関車」。実物の贈り物があったんですね。読売新聞を退社された際に、同僚から贈られたそうです。
チェーンストア・エイジにて樽谷哲也氏が連載中の『評伝・渥美俊一「革命一代」』のファイリング。2002年から2010年に先生が亡くなる直前まで、渥美先生や周辺の関係者100名以上に取材をした上で執筆し続ける連載物。2017年1月で、ようやくペガサスクラブ発足の時代に入りました。単行本化が待ち遠しい。。
ここが渥美先生の定位置。ソファーに座るのではなく、ソファーとテーブルの間にスポッと収まり、カーペットの上に座ってテレビを観たりくつろがれたそうです。
渥美先生の手帳はシステム手帳。「チェーンストア 能力開発の原則」(実務教育出版)で、渥美先生が「知りえたことはメモをとりつづけ、ひそかに自分だけのファイリング資料を堆積しなければならぬ。いかに強烈な感動も画期的な情報も、①記録し、②きれいに書いて整理し、③あとでいつでも取り出せるように分類保管すること ができなければ、間もなく記憶の外に逸失してしまうのだ」と仰っていたことを思い出しました。
システム手帳は、整理する手間をかけないと上手く使えないので、最近は綴じ手帳に「書きっぱなし」でした。綴じ手帳なら、強制的に時系列にメモがされて、散逸はしないので。でも、日々考えたこと、知ったことのメモを整理する手間は惜しんではいけないですね。せっかく記録したのに、このままでは一生見返さないであろうメモがどれだけあることか。久しぶりにシステム手帳に戻そうと思いました。
「生きた、述べた、愛した」の文字。お別れ会で配布された追悼集の表紙は、この手帳に書かれた直筆メモだったんですね。言葉にならない感動です。
渥美先生が最後に使われていたのは、BINDEXのNシリーズ。ミニ8穴という、10年ほど前に生産終了しているモデルですね。
渥美先生が使われていた「渥美」印の承認印。今回の政策セミナーから発売になった、最新版の「チェーンストアのための必須単語1001」の最後のページに押させていただきました。パワーをもらいました。亡くなられた2010年7月21日の日付けになっています。
病床時、ダイエー中内功氏から送られた書簡。巻物に筆で書かれていて、渥美先生への想いが伝わります。装飾をしたのは渥美先生。本当にうれしかったのですね。
お手洗いに飾られている鳥の置物。あるとき、奥様が鳥の向きをまっすぐ横向きに並べたところ、翌日には写真のように斜めに直っていたそう。何事も細部にまでこだわられる渥美先生の姿勢が伝わる微笑ましいエピソードでした。
渥美先生が”大大大好きな”鉛の兵隊。かわいらしいです。「働いている人形」がお好きだったそうです。
ペガサスバッグ。これも欲しいですね!
ペガサスマークの原型となった馬の絵画だそうです。ペガサスビル建設時に購入とのこと。ペガサスビルの建設は昭和54年。私が生まれた年です。
1970年。若かりし頃の渥美先生のイラスト。
以上、渥美俊一記念館 見学レポートでした。
まだ別の部屋や情報もありましたが、写真を撮り忘れた箇所もあります。
そちらはまた別の機会でレポートさせていただきます。
また、パワーをもらいに記念館に行きます!
見学レポート①、②はこちら↓
渥美俊一記念館 見学レポート① ~1階編~↓
https://ameblo.jp/pegasus-sr/entry-12296732268.html
渥美俊一記念館 見学レポート② ~2階編~ ↓
https://ameblo.jp/pegasus-sr/entry-12296883398.html