渥美俊一記念館 見学レポート②

 

2階は、渥美先生の日常の暮らしがわかるフロアです。

 

 

ベッド、テーブル、壁紙まで、すべてJCペニーで揃えた寝室。壁紙も簡単にセルフで張替ができる商品が売られていて、総額で20万円程度とのことで驚き。実際に渥美先生がお休みになっていたのは別の部屋で、ここは招いた経営者にトータルコーディネートのお手本として見せるためにしつらえた寝室だそう。

 

ベッドは本来は、写真のものを2つ並べて1人で寝るのが正式なサイズなんだとか。

 

写真手前の家具だけは、JCペニーではなくアンティークの品。それでも調和しているのは、先に部屋のトータルコーディネートができていて、そのテイストに合わせて家具を購入したから。

 

カーテンは閉じられない飾り専用。テーブルは、花瓶より重いものは置けないであろう簡易な骨組みです。トータルコーディネートが優先で割り切りがすごいです。日本だったら考えられないかもしれませんが、不必要な機能が付加されている、割高な商品が多いことも確かです。

 

渥美先生が50歳代から夢中になったシュノーケリングで集めた貝殻。

 

 

渥美先生愛用の腕時計は、オメガのコンステレーションというモデルでした。JRCレポートの中で、何かの例え話で「僕の時計はオメガですが・・・」と仰っていて、私も同じオメガを手に入れたいと思っていました。十数年前に、雑誌「商業界」で渥美先生の腕時計が比較的鮮明に映る写真があったのですが、モデルまで判明できずにいました。今回、やっと判明したので、いつか同じモデルを手に入れたいです。

 

渥美先生のクローゼット。明るい色のネクタイやシャツが印象的。お洒落を楽しんでらっしゃったことがわかります。ペガサス会員企業の会員には、アメリカで渥美先生と同じ店で同じような商品を買い求める方も少なくなかったそう。

 

 

お休みになられていたシーツは、けしてリーゾナブルなものではなく、数十万円する最高級のもの。日本のシーツは、とにかくパリッと糊が効いているのが良いとされるが、柔らかな風合いで肌にフィットする肌触り。チェーンストアで、誰もが買いやすい価格で、適切な品質の商品を開発するために、最高級を知らなければいけない、と経営者に指導していたそうです。

 

寝室から浴室へ向かいます。

 

圧巻の浴室。どんなに早朝でも入浴する主義であった渥美先生。新築にはタイルを思い切り使いたいと、世界中の生産地を何年もかけて探されたそうです。別の目的で訪れたロサンゼルスで、このタイルに出会って一目ぼれ。その後4~5回ロサンゼルスに通って、やっと決定されました。

 

施工の際には、現地からタイル職人を呼んで日本の職人に指導させました。ですが、向こうの職人と日本の職人では考え方が異なり、「目地がピチッと通らないじゃないか!」と日本の職人は随分抵抗したそう。しかしここまでの仕上がりになるとは思っていなかった渥美先生は大喜びだったそうです。

 

 

渥美先生愛用の化粧品はアラミス。ダンディな大人の化粧品ですね。”独特の香りが最近まで残っていて、今そこにいるようだった。”

 

 

私の祖父と渥美先生は同い年です。私の祖父は2015年に亡くなりましたが、よく「後1~2年戦争が長引いたら、俺も戦地へ行っていた。兄さんは先に戦地に行って戦死したから、次男の俺が家を継いだ。」と話していました。

 

渥美先生は、終戦を迎え、「生き残ってしまった」という意識が強くあったとのこと。なので、祖国復興のために何かを成さなければ、それが生き残った我々世代の役目、との思いがあると語っておられます。それが、チェーンストア産業づくりに繋がっています。

 

渥美先生直筆の履歴書。当時の履歴書はこんな書式が一般的だったんですね。


 

東京大学法学部の卒業証書。

 

2階のレポートは以上です。

見学レポート③ ~3階編~に続きます

 

渥美俊一記念館 見学レポート① ~1階編~↓

https://ameblo.jp/pegasus-sr/entry-12296732268.html

 

渥美俊一記念館 見学レポート③ ~3階編~ ↓

https://ameblo.jp/pegasus-sr/entry-12296962016.html