愛しのエリーゼは何処へ  ベートーベン「エリーゼのために」 | 『~鏡花水月 ~』

『~鏡花水月 ~』

鏡に映る花の如くに美しく

みなもの月の如くに脆く儚く

この世は幻 森羅万象は夢の中

我は心のままに詩を詠み続け

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こんにちは、「鏡花水月」 の紫雨(むらさめ)でございます。
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~ これは伝説である!
 私の妄想の産物から派生して生まれた異世界への扉。
  扉へ手を伸ばし異世界の壮大な物語へと旅立とう ~




ベートーベンの自筆譜

ブログタイトル 「楽譜」=「音符の渦」「オタマジャクシの集まり」
音楽に抵抗のあるものには 
時に化学式のように見るものを苦しめる

一列の楽譜もあれば 
十数段以上に及ぶ楽譜まであるうえ
難解な記号、長い線状・点状の表示から
演奏上の指示を示す音楽用語での表現


見るのと聞くのとでは天と地との差があるようにさえ思えてくる
しかし 作曲者は白紙の五線紙に 「想い」 「思想」 「アイデア」 をのせ
音による芸術作品に進化させていくのである

作曲家により楽譜の扱いには 少々の違いが出てくる
頭の中に浮かんだ旋律を書きなぐるように書きとめたり
誰でも見やすいよう丁寧に書き進めていったり
作者の言う通り楽譜に記入する役の人がいたり

ブログタイトル細かく楽譜の中に
「演奏上の意図」「演奏効果」「表現法」
そうしたものを正確に記入する作者・・
演奏は演奏者の感性に任せるように
「ファジー」に示すのみという作者・・
特にショパンなどは出版される楽譜には
決して妥協を許さなかったという

その原点 「作曲者の自筆譜」
それは貴重であるとともに 興味深いものでもある
今回取り上げる 「ベートーベン」の自筆譜・書かれた文字は
何かと様々に取り上げられる機会も多い


ベートーベンのチェロソナタの自筆譜



まず 彼の楽譜や文字が特に読み取りにくかったといわれている
作曲者の書いた自筆譜を 誰かが清書して楽譜にされる
そして出版されたものは 「原典版」 と呼ばれる

ブログタイトル しかしベートーベンでは 
あの有名な第9番の交響曲などでも
書きこまれた記号などが読みずらく
恐らくは 清書の段階で読み間違えられた
と思われる場所もあるとも聞く


今回取り上げる「エリーゼのために」も
ベートーベンの読みずらい文字が巻き起こした出来事により
人々の中で様々に物語を生んでいる一曲である


エリーゼをめぐる 推測の歴史

ピアノの珠玉の一曲「エリーゼのために」は
1810年 ベートーベン 40歳の時に作られたとされ
「バガテル」と呼ばれる音楽ジャンルに属されたピアノ用小品である

しかし通常正式に作曲された曲に付けられる
作品番号がこの曲には付けられておらず
より個人的作曲で正確には分類しにくい曲である



ブログタイトル 作曲されたベートーベン40歳の時でのこと

彼はある18歳のイタリア人女性に恋し
ポロポーズをしたといわれている

彼女は ベートーベンの主治医の姪で 
ベートーベンが家庭教師をしていた
若き貴族の娘でもあった
「テレーゼ・フォン・マルファッティー嬢」



平民のベートーベンに対し 貴族のテレーゼの家族は大きく結婚に反対し
彼の望みは叶わず 彼女はその後別の男性と結婚した
そして「テレーゼ・フォン・ドロシュディク」として生きたという

ベートーベンはテレーゼに対しプロポーズの際に 
彼女に手紙と共にこの曲の自筆譜を「約束のものとして・・」として贈っている

それから時は流れ ベートーベンの死後 
テレーゼは別のある女性にこの曲の自筆譜を譲ったといわれている
それを知った研究者「ノール」は自筆譜を探し発見した

ブログタイトル そしてその研究者「ノール」は
1867年に「新しいベートーベンの手紙」を出版

自筆譜と共に 楽譜に添えられた
「エリーゼのために 4月27日 
ベートーベンへの思い出のために」という文字から
この曲を「エリーゼのために」として発表をした



それから3年後の1870年 正式に初版版の楽譜として出版された
実にベートーベン死後40年の年月を経て世に出ることになったのだ
自筆譜はその研究者ノールの元で紛失したが
その後静かに「エリーゼのために」として世の中に知れ渡っていった


ベートーベンの死後100年の時が経ち
20世紀に入り ある筆跡研究家により 「テレーゼ説」が発表された
公表したノールが文字を読み違えではないかという説である

ブログタイトル ベートーベンの記録の中に
エリーゼという人物の記録はなく
テレーゼに贈られたこの曲の自筆譜に
添えられていた読みにくい文字の判別の段階で
「テレーゼのために」のところ
「エリーゼのために」と読み違えたといわれている

さらに21世紀の現代に入ると 新たに「エリザベート説」が発表された
ベートーベンにはテノール歌手の友人がいたという
そのテノール歌手の妹にあたる「エリザベート・レッケル」というソプラノ歌手

エリザベートは兄を追い ウィーンにやってきてベートーベンとも
やがて親交を持つようになる
だが彼女は1870年一時期ウィーンを離れていた時期があり
この曲の作曲された時期と符合するという

ブログタイトル 裏付けとして 研究家はウィーンの教会の
エリザベートの子供の洗礼記録の
母親本人の名前の欄に
「マリア・エバ・エリーゼ」とあり 
ウィーンでの呼び名はエリーゼだったという

自筆譜に書かれた 文字はウィーンを離れる際に元々はエリザベートに
ベートーベンが曲を贈ったものではないかとの仮説が浮上し
「テレーゼのために」出なくて「エリーゼのために」でよかったのだというものだ

しかし 各説については 自筆譜が紛失してしまっているため
確固たる検証とはならず 真相は不明のままである

何らかの意図でこの曲を作曲したであろうベートーベン
この時代を越え繰り広げられる題名論争
その行方をどう見るのだろうか・・・


では イーヴォ・ポゴレリッチのピアノによる
「エリーゼのために」聴いていきましょう


・ベートーベン作曲 「エリーゼのために」


「最後まで読んで頂き感謝 心よりの感謝を込めて・・・
 迷える子羊に 神のご加護があらんことを・・・ 」 合掌