こんにちは、「鏡花水月」 の紫雨(むらさめ)でございます。
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~ これは伝説である!
私の妄想の産物から派生して生まれた異世界への扉。
扉へ手を伸ばし異世界の壮大な物語へと旅立とう ~
音による旧約聖書とも呼ばれるバッハの組曲
バッハは1720年頃 チェロのための独奏曲
「無伴奏チェロ組曲」を6曲書き残したといわれている
しかし正式に作られた時期ははっきりしておらず推測として伝えられている
この6つの組曲が作曲されるまで
チェロは多くの楽器で合奏される中での
伴奏の役割を果たすただの一つの楽器に過ぎなかった

数字というものに対しても
それ以外のほか様々なことに
強い創造性・こだわりを抱いていたバッハは
強く光の当たることのなかったこの楽器に
この曲で強い独創性としての特質を与えた
それでもなお当時の時代では
世界には芸術としては広がらず
一つの楽器の演奏技術向上としての曲として
その音楽の内容まで研究されることはなかったという
この6つの組曲は それぞれ強い構成で成り立っており
すべては プレリュードと5つの舞曲で構成されている
そして1番から6番に向かって演奏するにあたり
技術的に難しくなっていく傾向があるという

先に記したような
「作られた時期はいつだったのか」
「誰に向けて作られ」
「誰が最初に演奏したのか」
「バッハの自筆譜自体は残っていない」こと
そして興味深いのは
「本当にチェロに向けて作られたのか」
少しバッハの時代のチェロについて知る必要がある
この組曲の中には チェロで弾くにしては物理的にも至難なものがあったり
「5弦を用いて」弾くよう指示してある曲もあったりするという
現代の弦楽器は4弦構成となっているが
歴史を調べていくと チェロについて
楽譜の挿絵などに 肩に抱えて弾く様子が描かれたものがあったりした

そうした挿絵から判断すると
バッハの時代のチェロは
肩に抱えられるほどのもあったり
5弦チェロなどもあったことがつたえられているが
それはバッハ自身が開発したとも言われている
推測で言うとバッハの時代チェロ含めいくつかの楽器で
今現在我々の知る楽器の形態より多少違った楽器もあり
形状や音も多彩であったのではなかっただろうか
話を戻してバッハの音楽は「ポリフォニー」
つまりいくつかの独立した旋律が同時進行する音楽でもある
この後お聞きいただく組曲の「1番のプレリュード」も
流れるような一つ一つのフレーズの連続に聞こえて
よく聞くと1つのフレーズに見えている部分も
低音と中音と高音の3つの旋律音で構成され

それを3つの楽器に分けて演奏するところであるが
1つの楽器で同時に3つの旋律は演奏できないため
3声部を同時にでなく時間差で分散させ
1つの楽器で1つの流れとしてポリフォニーにした
バッハのポリフォニー音楽への
新しい試みだったのかもしれない
このように見ていくと興味深い部分がたくさんある組曲であるが
この「無伴奏チェロ組曲」は練習曲以外の真価を見るまで
歴史の時の中で長く眠り続けることとなってしまった
無伴奏チェロ組曲に人生を捧げた男
バッハの死後1世紀半ほどの時を刻んだ時期のスペイン
一人の10代半ばの少年が楽器店で ある楽譜を発見することになる
それがバッハの「無伴奏チェロ組曲」であり
その楽譜との出会いに彼は大きな衝撃を受けたという

チェリスト・音楽家として屈指の存在へとなっていく
名は「パブロ・カザルス」という
彼とこの「無伴奏チェロ組曲」との出会いは
音楽史にとっても彼にとっても
1つの重要な運命であったかのように思わされる
古く誇りをかぶった楽譜をみて彼は
「尋常ならない魔術性と神秘性を秘めている」と表現したという
彼自身も「無伴奏チェロ組曲」に特別な運命
ただならぬ音楽的芸術性を感じたのだろう

「パブロ・カザルス」ではあるが
すぐにはこの「無伴奏チェロ組曲」を
世に発表することはなった
この曲にとりつかれた彼は
12年もの歳月をかけ研鑽・研究をつづけた
そして25歳の時にこの曲を世に新たに発表した
その後も生涯この曲を研究し続け
常に新たな発見をし続けたという
「パブロ・カザルス」がこの曲を発掘していなければ
今 我々がこの曲を聴くこともなかったかもしれないと感じるときがある
それでは
バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲」より1番プレリュードを聞いていきましょう
感性のまかせて聴くもよし
音楽構成に注意をはらい知的に聴くもよし
自由に聴いていきましょう
・バッハ作曲 「無伴奏チェロ組曲 1番ト長調」よりプレリュード
「最後まで読んで頂き感謝 心よりの感謝を込めて・・・
迷える子羊に 神のご加護があらんことを・・・ 」 合掌
迷える子羊に 神のご加護があらんことを・・・ 」 合掌