こんにちは、Legend Art Museum の佐藤でございます。
ご訪問、ペタ、読者登録、ありがとうございます。
2月2日は 「バスガール」の日だそうでございます。
1920年、日本初のバスガールが登場したのが今日であるとの事!
~ これは伝説である!
私の妄想の産物から派生して生まれた異世界への扉。
扉へ手を伸ばし異世界の壮大な物語へと旅立とう ~
日本で ダニを媒介にした感染症が見つかったとの報道を見て
これも何かの因縁という事で 話題として少し触れていきたい・・・・
今回は運命に翻弄されたとある科学者にスポットを当てたい。
彼の行なった実験の副産物の話については有名でもあるが
ここでは特に 彼の 「人生」 について触れていき 考えていきたい。
詳細まで書くととてつもなく長くなるので端折って書いていきたい。
名前は「アンドリュー・クロス」と言う。
彼は英国生まれの科学者でした。
彼の事を
「フランケンシュタイン博士のモデル」
「神に最も近付いた男」 などと呼ぶ人も多いが
これは 誤解があるようである・・・・・
ただ科学的好奇心旺盛で信心深く
この後出てくる実験が行われたのは小説のフランケンシュタインの書かれた
ずっと後の事である。
彼は 1784年裕福な家庭に生まれます。
幼少より 好奇心旺盛で 特に
「科学実験」 それも 「電気」 に関することに関心が高かったようである。
親より相続した財産を使い 日々 一人でひたすらいろいろな実験をしていたのである。
しかし 彼は正式に科学を学んでおらず いわゆるアマチュア科学者であった
そのため彼の行ってきた実験に目を留める科学者はほとんどいなかったと言われている。
時は刻まれ 1836年 彼が52歳の時である。
彼の名を世に知らしめることになるある実験が行われます。
自宅の音楽室を使い 石英の結晶を生成する電気実験をします
しかし 結晶の生成には失敗をします。
その代り 新しい発見があったのです。
器具の上を顕微鏡で覗いてみると そこには白い突起物があり
彼はそれを 毎日観察する事にしました。
その突起はやがて変貌し昆虫のような姿になり 動きだします
数も数百まで増え部屋の中を動き回るほどに目視できる大きさまで成長します。
彼は 考えました!
これは 実験の時 虫か何かが入り込んだのだと・・・・
そして 再度 滅菌消毒など 虫の入り込めない状況にして細心の注意を払い
同じ実験を繰り返し行います。
その実験でもやはり同じく昆虫らしきものは 生まれ結果は同じでした。
彼はこの虫をダニの一種と判断しました。
彼はこの結果を 文書にまとめると共に ロンドン電気協会に報告をします。
それを受けた協会の科学者の手により実験の再現が行われました
すると やはり ダニ は生まれたのでした。
やがてこの事は 新聞で大きく取り上げられヨーロッパ全土に報じられました。
実験の際 生まれたダニは マスコミにより「アカラス・クロシ」と命名されている。
このことにより彼は英国のみならずヨーロッパ全土が知る存在へとなっていった。
そしてこの事が彼を残酷な運命に引きずり込まれた瞬間でもありました。
元は結晶生成目的だったはずの実験が
ヨーロッパ全土の宗教団体の思想に影響・混乱を巻き起こします。
そして人々は彼が 神の役割である創造を侵害したと激しい非難をし
「平和を破壊する悪魔の使い」 として激しく迫害を始めました。
それは 暴力や脅迫だけにとどまらず、
地元の農民は小麦の枯葉病も彼のせいにし、
悪魔払いの儀式を近くの丘で行いました。
さらに人々は彼の家の側を訪れては何度も悪魔払いを行ないます。
街の人々は彼の姿が見えるだけで扉を閉じて彼を拒絶し、
商人すらも彼と取引することを拒んだのです。
彼は信心深い人物であり 人々を説得に回ったが
事態を悪化させるばかりであった。
そんな状況を見ていた 電気科学者は人々の前で同じ実験を行い
単なる科学的な成果であることを知らせようとしたが
人々は全く耳をかすことはなかったのでした。
そうするうち彼は絶望の中に失意し
外界との接触を一切絶って人前には姿を現さなくなったという
そして1855年 妻に看取られながら静かに息を引き取ることになった。
晩年、彼は妻に対し、こう話したという・・・・・
「この世は地獄だ。前世の罪が私をこの世に再び運んだ。」
彼の死後 人々は彼の名と 彼の実験について歴史の闇に葬ろうとしたという。
彼の実験の検証は死後も行われており
結局実験中にダニが入り込んだのではないかとの見解で通っているが
実験の詳細、状況がはっきりしないため
完全に否定もしきれないとも言われている。
悪魔の科学者として扱われる彼の人生とは一体
何だったのでしょうか・・・・・
「最後まで読んで頂き感謝 合掌」 佐藤英彦