こんにちは、Legend Art Museum の佐藤でございます。
ご訪問、ペタ、読者登録、ありがとうございます。
今日は ホットケーキの日だそうです。
寒い日には ホットケーキを食べて暖まろうという事で制定されたそうです。
~ これは伝説である!
私の妄想の産物から派生して生まれた異世界への扉。
扉へ手を伸ばし異世界の壮大な物語へと旅立とう ~
今日のお話は 旬の話題になってきたバレンタインデーに因んで
一大行事の主人公について観ていきたい。
バレンタインデーは
聖ウァレンティヌス が殉教した日を記念して・・・とある
ここでいう 聖ウァレンティヌス とは
269年 ローマの皇帝の迫害下で不法に結婚式を執り行い処刑された
キリスト教の聖職者 ウァレンティヌス司祭 を指している。
だが この聖ウァレンティヌスという人物調べれば調べるほど
謎という渦の中に どんどん埋もれていくことになる。
彼については ローマ帝国とキリスト教が大きな関連している
ここからのお話は 幾つもの伝説の1つである。
3世紀ウァレンティヌスの時代のローマ帝国皇帝 クラウディウス2世ゴティクス は
ウァレンティヌスの時代に結婚禁止令を出したと言われています(俗に)
これには 歴史的背景があり
ローマ帝国では当時毎年2月15日にローマの農耕神ファウヌスと、
ローマの建国者ロームルスとレムスに捧げられた
多神教の儀式でもある豊饒祭「ルペルカリア祭」が行われていた
これは豊穣祈願に加え 安産や多産をも目的として
当時別々に生活していた若い男性と女性が唯一知り合える機会でもあった
ほとんど裸の男性が女性を追っかけまわし 女性を鞭で打つ
すると女性は子宝に恵まれるといった儀式だったようである
そのルペルカリア祭の前日
つまりは現在のバレンタインデーにあたる日は
家庭と結婚の神 ユノの日 で祝日とされていた。
ルカペリア祭とも呼ばれていた。
この日未婚の娘たちは自分の名前を書いた札を壺の中に入れることになっていた。
祭りの当日、男たちは壺から札を一枚選び、
引いた札に書かれている娘と、祭りの間一緒にいることになっていた。
この時位しか異性と知りあう機会もないので、大概は恋が芽生え、
そのまま男女の仲となるものが多く
そのまま結婚という流れになることが多かったのだ。
クラウディウス2世ゴティクスは結婚した兵士達が
結婚や配偶者と引き離され士気が下がるのを恐れて
この結婚禁止令を出したといわれている
そんな中 結婚禁止令に背いて 結婚式を断行したウァレンティヌスは
監獄に囚われの身になります。
そこで 一人の女性と出会います。
投獄された監獄の看守の娘で盲目の女性でした。
女性はウァレンティヌスの説教を聞くうちに
目が見えるようになるという奇跡を体験します。
それを知った女性の家族は キリスト教に転教する事になります。
異教を排除したい皇帝はそれを知り
269年2月14日にウァレンティヌス処刑します。
それから時は刻まれ496年、法王ゲラシウス1世は、
ルペルカリア祭を15日から14日に変更し異教の祭をやめさせようとします。
しかしただ この人気の祭りを禁止すると 兵士の反発を生むため
この兵士の結婚のために殉教していったウァレンティヌス由来の祭りとして
話をすり替て伝えまた信じさせることにより
ついにルペルカリア祭の廃止に成功しその日をただの祝日とした。
こうしてバレンタインデーというものが始まったのである。
これが私が調べてつなげた創作ストーリーとしての伝説の1つでした。
別のストーリーを使うと全く別の伝説のシナリオが出来上がることになります。
聖ウァレンティヌスは 3人 いたと初期の殉教者列伝に記されているという
・ローマの司祭
・現在のイタリアにあたる地域の司祭
・ローマ帝国領のアフリカの殉教者
いずれも聖職者にして同じ旬教日であったとされているが
前者2人は同じフラミニア街道に埋葬されたという。
また同時に同一人物 架空の人物ともいわれ 今ではカトリックの聖人暦に名はないという。
死因、歴史的事実の矛盾、殉教理由、歴史的背景など見て
幾つもの伝説が生まれていることは間違いないでしょう。
聖ワレンティヌスの遺骸を納めていると主張している西方教会は、
今少なくとも7つあると言われている・・・・・
「最後まで読んで頂き感謝 合掌」 佐藤英彦