目の前の360°立体スクリーーンは、

 

ニュートラル(無極、ゼロ、∞)

なのだけど、

 

 

2極世界である

片方の極をぎゅっと掴み

一方の極に位置がズレてゆくと

 

スクリーンに現象が現われて

そのリアリティはあまりにもエグすぎて

 

動かしがたい現実、

そうであるのが当然

 

決定した世界が観えてきます。

 

 

 

長年、背追い込んだ観念(思い込み)。

 

そのフィルターを通して

それぞれの世界を観ているとも言える。

 

 

 

『このままではいけない』

 

と思考するように誘導されてきたので

 

 

本来の自己(愛、光、レインボー、神)

を忘れ

 

外側に『おかず』を

たくさんつけるようになりました。

 

『おかず』をたくさんつけないと

誰からも愛されないよ。

誰も認めてくれないよ。

 

『おかず』がたくさんあれば

幸せになれるよ

 

と誘導(教育)されてきたからです。

 

 

 

こちらの記事で

 

『嫌な気分』『不快』

とセンサーが反応したならば、

 

信じている価値観、

「そうである」と決定した現実を

 

【疑う】と書きました。

 

 

▼▼▼

 

 

『おかず』がないと

幸せになれないって本当かな?

 

今まで信じてたけど

それって本当に本当?

 

 

幸せになるために頑張っているけど

こんなに辛い思いを

しなければならないって

おかしくない?

 

 

こうして【疑う】ことで

なにが起きているのかというと

 

 

ニュートラルな位置に

戻って行っているのです。

 

 

 

「このままではいけない」

 

と2極である片方の極を

ぎゅっと握りしめ

無極から位置がズレているので

 

 

その手をパッと離す行為が

【疑う】なんです。

 

 

「このままではいけない」

と信じているので

 

「このままではいけない」

「なんとかしなければ」

「もっと頑張らなければ」

 

という世界を観ますよね。

 

そこでセンサーは、

『嫌な気分』『不快』と反応する。

 

だから疑ってみる。

 

 

「こうである」と握りしめていた手を離す。

 

すると、

無極(ニュートラル)に戻っていくので

 

気持ちがになるんです。

 

※ニュートラル(無極、ゼロ、∞、凪)

 

 

『嫌な気分』から

『快、楽』になる。

 

 

頭でゴニョゴニョ考えても

体感はできないので、

 

やってみる。

 

 

 

【疑う】という単語に

 

マイナスなイメージが湧いてくるのは、

 

「人を疑ってはいけません」

「信じることは善」

という教えからだと思います。

 

それらも観念(思い込み)ですが

ここで書いている【疑う】は

 

己のバグに気づくことです。

 

2極である片方にいる立ち位置を

無極(ニュートラル)に戻すためなんですね。

 

 

気持ちが楽になった

なんかホッとした

 

 

という感覚が

ニュートラル(無極)に戻っている証拠。

(※なにも掴んでいない)

 

 

 

 

 

「いや、でも!!

このままでいいはずがない!」

 

となったら

ニュートラルから外れて

2極であるS極だかN極方向へ

位置がズレていきます。

 

またぎゅっと何かを掴むので

 

その世界が

リアルに広がっているように観えてきます。

 

『このままではいけない』のだから

 

頑張らなければいけない世界がね。

 

 

 

 

 

____________

 

 

 

先日、川沿いのベンチで

ボーーっとしていたら

 

お父さんと2人の娘さん(小学生)

が自転車でやってきて

 

大声でケンカしていました。

 

 

「だからお前はバカなんだよ」

 

子(姉)

「バカじゃない!バカって言う奴が

バカヤローーーーだ!!」

 

「バカヤローーーって言う奴は

大バカヤローーーだ!!」

 

(しばらくつづく.....)

 

 

ちょっとしたコントみたいでした。

 

 

 

「バカヤロー」という言葉を

知っている日本人は、

 

その意味を理解しているので

 

その言葉を聞くと

『嫌な気分』になりますよね。

 

 

『嫌な気分』『不快』

とセンサーが反応したということは、

 

それは間違っているよ

 

という合図なのですね。

 

 

「バカヤロー」と言われて

 

『嫌な気分』『不快』になるのは、

 

「バカヤローーー」じゃないからです。

 

 

 

(※「バカヤロー」の意味を知らない人は

その言葉を聞いても不快になりません。

カラスがカァーカァー!叫んでる~♪くらいで

「バカヤロー」と自分を結びつけない。)

 

 

 

 

レインボー(愛)そのものの存在は、

 

【愛】に沿ったものには

『いい気分』『快、楽』と

反応しますが

 

愛ではないものに

『嫌な気分』『不快』と

センサーが反応します。

 

 

 

 

夕飯のトキに

 

息子に尋ねてみました。

 

 

P「なんで?『バカヤロー』って

言われると嫌な気分になると思う?」

 

 

D「闇の言葉だからだよ」

 

 

P「闇の言葉はなんで不快なのかな?」

 

 

D「みんなレインボーだから

闇の言葉は合わないわけよ。」

 

 

P「レインボーに闇の言葉は

合わない。ズレている。

一致しないから居心地が悪い?」

 

 

D「そうそう。

レインボーの人に闇の言葉は

ぜんぶ違うってこと。」

 

 

P「ぜんぶ違うから

それ間違いだよーーって

教えるために

『嫌な気持ち』になるのかな」

 

 

D「そうそう。アンテナ。合図。」

 

 

レインボー以外は嘘(間違い)だよ

レインボーじゃないならバグってるよ

 

ってこと。

 

 

 

 

息子にこの件を尋ね、

 

 

息子からの返答は、

「わからな〜〜い」

 

だと思っていたのですね。

 

「おいしい給食」の甘利田先生並みに

夕食に集中して味わっていたから。

 

 

「レインボーと闇の言葉は一致しない」

 

だから居心地悪くて『嫌な気分』になる。

 

 

得意げになって

息子に語ってやろうとしたかぁ〜さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

釈迦に説法.....釈迦に説法....釈迦に説法........

 

 

 

息子に敵うはずがない。

 

あぁ〜果てしない、果てしない。

 

 

今日は以上です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

右矢印ウチの塩(1)

右矢印ウチの塩(2)