土曜日はいつもだいたい
朝方まで起きているのですが
こないだ珍しく
深夜2時ごろ床に就きました。
「こんなに早く寝ちゃうのだから
早起きできちゃうな(ウシシ)」
とニヤニヤしながら
起きるのを楽しみにしていたのですけど
目覚めたらお昼過ぎの
12:30でした。
10時間も寝てる....
実におかしい
寝る時間は違うのに
起きる時間が一緒て。
今までのわたしだったら
無意識の自動リアクションが発動して
「はぁ〜〜寝すぎた......
」
と己を責めていた。
「寝すぎた...」と後悔しても
寝ちゃったもんは仕方なく
時間は戻せないのに
自動で否定的リアクションをする。
たった1日眺めているだけで
相当量の否定的反応があることに気づく。
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自分の内側を見張っていると
否定、判断、抵抗、裁き
...といった
否定的反応ばかりしていることに
驚きます。
たった1日だけ
見張っても
相当な否定的反応量なんです。
否定的反応が自動的に発動されるのは、
我々の気づかない領域、
奥深い無意識の領域で
【否定的反応】は有益である
と思い込んでいるのだと気づきました。
自分にとって利益があると
思い込んでいるので
自動的に否定的反応をする。
子どもが何かをしでかしたら
親は「怒る」という反応をしてみせるのが
有益であると思い込んでいる。
これよコレ。
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息子に
「わたしは怒っているんだ!」アピールを
し続けたかった!!
なぜなら、
わたしがニヤニヤご機嫌さんでいたら
息子が部屋の片付けをしないと思った。
わたしが不機嫌でいれば
息子は部屋を片付けると思った。
目の前の現象が
望まないものであった場合、
怒ったり、イライラして見せたり
否定したり、攻撃したり、という
マイナスエネルギーこそが
問題を解決できると
自我(エゴ)は信じているらしい。
否定的反応をし続ければ
目の前の問題は解決できると
思い込んでいる。
だから、
やってしまったことを後悔して
罪悪感を持って
他人の失敗をも責める。
「罪悪感を持って反省しろ!」
「自分を責めて落ち込め」
という呪いを無意識に
自他共にかける。
自分を責めて罪悪感を持つことが
イイことなのだと思い込んでいる。
相手を責めれば
問題は解決できると思い込んでいる。
子どもに「怒った」から
「言うことを聞いた」
と心から信じている。
このように我々は、
世間の間違った価値観を
大層大事に握りしめて生きてきました。
この世は、
「自責の念」を持つように
たくさんの罠が仕掛けられていたのです。
自己卑下しろ〜〜!!
罪悪感をもて〜〜〜!!
否定しろ〜批判しろ〜
ジャッジする立場は偉いんだぞ〜
だからジャッジできるよう高みに上がれ〜
肯定するな〜論破しろ〜
「否定的反応は有益だ!!」
という罠。
この記事もそうです。
この世の罠。
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ゴンダバァくん♪コメントありがとう!!!!
「何かやりたいこと見つけなよ」「好きなことやったほうがいいよ」そんなことを人から言われると、考え過ぎてしまって、今は何もやりたいこと無いのに「あぁ~、何かをやらなければ…」に変り、焦ってしまい、自分を追い詰めて、最終的には周りと比較して、自分をダメ人間扱いしてしまう。これは罠です。この世の罠です。やりたいことがなければそれでイイ、現在(いま)はそういう時期なだけです。何かやりたくなったら、たぶんやります☆
567騒動で
『この世界はおかしい』
と気づいた人も多いと思います。
ならば、
気づいたついでに
己の否定的反応を疑ってみるとイイです。
567騒動中、
『洗脳』という単語をよく目にしますよね。
コロナ脳やテレビ脳然りですが、
この世の盛大なる『洗脳』は、
「このカラダが自分である」
....であって、
誰もが神であることを忘れ
ちーちゃいちーちゃい存在であると
思い込まされています。
その『洗脳』をすぐに解け!!
と言いたいのではなく、
ひとつひとつやってくる
否定的反応を疑ってみる。
「ん?コレは否定することか?
本当にそうか?おかしくないか?」
「あれ?コレは怒ることか?
怒ったら上手くいくと
思い込んでいないか?」
「コレは心配することか?
心配なんてはじめからないのに
『心配することが善人』と
思い込まされていないか?」
オミクロンとかいう可愛らしい名の新株に
「ん?コレはおかしい」
「....んなわけない」
と疑えるみたいに
己の否定的反応を疑う。
否定的反応はぜんぶ嘘だった!!
有益だと思い込まされていただけだった
.....と気づく。
すると、
世界はガラッと変わりますよね。
全肯定世界。
___________
10 時間以上も爆睡し目覚めた瞬間、
己に1ミクロンの否定もなく、
かといって
「よく寝た〜♪」という歓喜もなかった。
気がつけば、
断酒してから6ヶ月も経っていました。
よって、
「呑みすぎた.....
」
という否定は有難いことに
6ヶ月前から自動的に消え去っています。
「寝すぎた....」からはじまり
「呑みすぎた....」で1日が終わっていた
己の日常。
否定しまくっていた日常。
このふたつの否定が消えただけでも
世界は優しくなりました。
影が存在しないように
否定(闇)は、はじめからない。
(※影は光を遮っているからできる)
今日は以上です。
ありがとうございました。
★親子で毎日食しているアルカリ性食品★

