息子が3〜4歳くらいの頃、
「ダイヤくんは、
1番にぴ〜ちゃんのところへ着いたから
ダイヤくんが生まれたんだよ」
というお話をよくしていました。
宇宙や神様のお話を
わたしに伝わるように
話し出したのが
6歳の頃です。
その頃に
「1番に着いた」話を
再度尋ねたら
「周りにいっぱいいたんだけど
ダイヤくんは1番に
ぴ〜ちゃんのところに着いた」
というのです。
それって精子の記憶?
卵子でもなく受精卵でもなく
精子の記憶なのか??と。
そして先日、
「ダイヤくんが生まれた日は
お誕生日って決まってるんだけど
ダイヤくんはずっと生きてて.....
お誕生日に生まれたんじゃなくて
ずっと生きてるの♪」
と言ったのです。
P「あ〜、魂は死なないから
生まれもしないってこと?」
息子
「うーーん。生まれないっていうか
ずーーーっと生きてる!!」
P「うん。生まれたり死んだりしない
ってことだよね?」
息子
「そうなの!!」
確かに、
こちらの記事でも書いたのですけど
魂は、
生まれもしないし死にもしない。
在る。
永久不変。
人間とは、
地球で遊ぶために
地球服を着て現れた現象に
「人間」というラベルを貼った状態である。
▼▼▼
「カラダ」は自分じゃなく借り物であり
魂が本来の自分であるといいます。
魂は、死なない。生まれてもいない。
覚者 ニサルガダッタ・マハラジも
生まれていないのだから死ぬこともない
と言っていました(←必死にググりました)
全ては何も起きていない、と。
息子は、
宇宙にいた頃の記憶、
精子(?)だった記憶、
胎内で暮らしていた記憶もあります。
つまり、
オギャーー!と
人間界に現れた日に
息子が生まれたわけではない。
地球服を着る前から意識がある。
わたしにも
死にたてホヤホヤの記憶があり
ちゃっかりと意識がありました。
つまり、
地球服を脱いだら
はい!これでおしまい!
.....ではない。
オギャーーー!と
生まれた瞬間からが
はじまりでもない。
常に意識は変わらずに在った。
ヒトとして生まれる前から
精子に命があって、
卵子に命がある。
それらが受精して受精卵となる。
受精卵に命があり生きているから
細胞分裂していき
やがて、
脳や手足ができあがり
人のカタチに成長してゆく。
あれ?
わたしの命って2つあるの?
って考えたこともある。
精子と卵子の命、2つ。
命が2つあるなら
2回死ねるのか?って。
いや、そんなことはない。
息子と一緒に
「怪獣の子供」を観に出かけてから
こんなことばかり考えていたりする。
(暇か)
「生命はどこからきて、どこへいくのか」
(※怪獣の子供より)
それはきっと
ずっとここに在り、
どこへもいかない。
人間は、
海の波のように現れては消える現象。
波は、現れたり消えたりするけれど
海は、ずっと在る。
人間は、
空に浮かぶ雲のように
現れては消える現象。
雲は流れ、
現れたり消えたりするけれど
空は、変わらずに
ずっと在る。
だから、
「怪獣の子供」の
ふたりの男の子の名が
「海」と「空」なのか、
と納得した次第。
先日の
MIB③のバタフライ効果も相まって
そんなことばかりに浸っていました。
(暇か)
海もひとつ。
空もひとつに繋がっている。
息子が
「すべては、ひとーつ!!」
と熱く語っていた意味。
我々は、レインボーから
現れた現象で在る。
もうどこからどこまでが
「自分」なのか
境目がわからなくなるというかね。
お誕生日の日に生まれたのが
はじまりでもなく
息を引き取った日が
終わりでもない。
生まれる前から
命があった。
精子も卵子も生きている。
こうなると、
どこからどこまでが
「自分」の命なのか
境目がわからなくなる。
今日は、境目なんてわからんね
ということを書きたかったようです。
以上です。
ありがとうございました。



