泣き虫の患者がピアサポーターになったわけ | ピアサポートよこはま

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以前お届けした吉田久美さん(平塚共済病院ピアサポーター)のエッセイは、「涙が出た」「ピアサポーターと話してみたくなった」と大きな反響がありました。

今回は吉田さんが再登場!ピアサポーターになるまでを語ってくれました。吉田さんにこんな一面が…?でも,だからこそみんなが心を開けるのでしょうね。

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私がピアサポーターになったわけ

あの頃の私は乳がんになってどんな生活になるのか・・・。知りたいのに誰にも聞けず、患者会にも行く勇気もありませんでした。
治療のための病院通いさえ、友人が毎回送迎してくれました。

病院にいたピアサポーターに話しかけられても、私ではなく付き添いの友人が代わりに話します。
点滴の針がいやだと隠れ、痛いのはいやと子どものようにべそをかきます。本当に情けない患者でした。

でも「いや」「怖い」「助けて」という言葉の表現が出来なくて、お風呂に入るたびに湯船の中で泣いている日々でした。

そんな私がなぜピアサポーターになったのでしょうか?

乳がんになって、私はたくさんの人たちに支えてもらいました。「怖い、辛い」と声に出して泣いていいんだということも教えてもらいました。

今度は私が恩返しをしたいと思い、でも養成講座を受けるのにも、ロールプレイや全体発表という大きな山があり、人前で話すことが苦手な私は乗り越える自信もなくて、幼馴染に「こんな講座があるんだけど」と相談しました。
性格を知っている彼女は「これだ!」とピンとくるものがあったらしく後押しをしてくれて、受講を決意しました。

修了時にはほとんどの認定者は「何かしたい、役に立ちたい」と意気揚々としているのに、私はというと「私にできるのかな、大丈夫かな」と不安顔。
今思えば珍しいタイプだったのではないかと思います。

そんな私もピアサポート活動をして8年目。延べ2000名の方とお話しました。多くの人に支えられ、少しは私も支える事ができているのかな。

あの時抱いた「恩返しがしたい」という思い、あの時感じた「ひとりじゃない」という思いを胸に、今日も必要とされる誰かのそばに寄り添います。

【プロフィール】
◆吉田久美
2008年乳がん告知。2010年乳がん体験者コーディネーター(BEC)講座修了。がん患者のピアサポート活動を続けている。平塚共済病院乳がん情報提供室勤務。湘南記念病院乳がん情報提供室ボランティア。「ガーゼ帽子を縫う会」発起人。
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