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ひとりでできるもん

はるばる立川までいってBBQしてきた。
太陽光にあたりすぎると具合が悪くなるので、
すぐに家に帰って、お風呂をわかして、砂だらけの洋服と自分を
ぐるぐるあらって、全身美白パック。
早く帰ったからひさしぶりにご飯もつくったぞ。すごいぞ!

しかし料理ってたまにやる分にはいやされるね。
なぜにどうして「料理しない女」のレッテルをはられて久しいが、
料理はできます!・・ただ、味付けをしないだけで、、。

けっこう前。お得意の営業の人と、撮影中に話していたんだけれど、
「すくなくとも、料理してるときは何も考えないですから。
こういう仕事をしていたら、そんな時間を持つことが、大切なんですよね。」
そういった彼女の話がずっと自分のなかにのこっていて。
あらためて、「ああ、そのとおりだなあ」と思った。

もともといろんなことを考えすぎる性格なので
なにも考えてないって状態がないんだよね。
仕事も公私の垣根がないから、休みだろうが何だろうが、
締め切りがあるかぎり、いつも企画のことが頭にあるし。
唯一、入浴中にする読書の時間はすっかり忘れてると思っていたけれど、それでも物語に集中しちゃってやっぱり頭を動かしてるじゃん!と。

でも料理や掃除なんかは、「目の前のものをいためる」とか「目の前の机をきれいにする」っていうシンプルな使命しか頭にないから、
いつのまにか頭がまっしろになっている。
それがすごく心地よい。
たのしくってたのしくってひじきまで煮ちゃった。
外食のあとみたいにおなかももたれないし、できる範囲で自炊しよーっと。



仕事はどんどん自分のキャパがひろがっているのを感じていて、
目にみえるスピードでまかされる仕事の容量が増えている。
それはものすごくこわいことで、やりきてる自信なんてどこにもないけれど、力むことはない。
一番得意なことを仕事にしてるんだから、無理する必要なんてない。
人より優れた才能なのは間違いないんだから、楽しくやっていけばいいんだ。
と、自分にものすごーーーくいいきかす。
普通に考えたら、経験なんてないのにとんでもない大舞台にたたされてるわけだからね。
こわくって下なんてみられないよ。



しかし頭のいい人って、めんどうくさいよな。
相手にしないのが一番なのかしら。

真夜中のチョン

雨。

きらいな人の傘をかりて、きらいの人のことをおもいながら
傘をさす。

それって人生みたいですよねえ。ええ考えすぎ?
好きなひとも嫌いなひとも、すべてが自分の人生に
関わっているという事実。

グレーな距離感を楽しめるようになってきました。
ずいぶん楽になってきたと思います。



しぜんたいい

この大波に、もしかして何の防御もせずに乗り組む船員はいないと思うんだよね。

それはこのご時勢、PCに何のセキュリティもかけていないくらいムホウビでリスキーなことでさ。

だから、多少の捏造はしょうがないと考える。
人生エンターテイメント、人生処世術、と考えればね。

人間は孤独を知ると、ひとりでは生きられないことを知る。
だから誰かしらとわかりあいたいと思う。
だけど身についた防御術が、いつのまにかそれを邪魔してる。
身についた癖や刻んだ経験は、かんたんにはリセットできない。
コミュニケーションが曲がっていく。
お互いが悲しむ。苦しむ。




人間ってみんなおんなじなのかもな、と思う。
もしかしたら同じ穴のムジナの話かもしれないけれど。
じゃあ私の周りにかぎった話で。

だから許そうとするのかなとも思う。
私は倫理だけでものごとをばしーっと判断してしまうきつい性格だけれど、
なるほどグレーの部分がないのは、大人とはいえないのかもしれぬ。
そう、だから許そうと思う。
私も許されてきたからこそ。
そうすると、ここで出てきた「ギブ&テイク」。
私が一番頭を悩ます問題。

関わろうとしなければいいだけの話なのかもしれないけれどね。
意識して関わろうとしない、その人は強くて優しいんだね。
私は、情という言葉でかくしながら、まだまだ、自分の弱さや孤独を直視できてないんだな。


エクスキューズは、エクスキューズでしかないということをとことん思い知らされた。
自分を振り返り、そうした相手のことを思い出してはかなしい。ほとほとと、かなしいよ。

今の世の中、自然体は貴重なのかもしれない。