あの東日本大震災から、今日で1年が経ちました。


私は、故郷へ帰るときの、列車の車窓から見る浜通りの自然が大好きでした。


今は原発事故の為に、電車は通っておりません。 外天公が眠る、

南相馬市小高区の同慶寺にも入ることが出来ません。


しかし、きっといつか、原発事故も収束し、浜通りは復活します。そしてまた、

あの素晴しい自然をゆっくり眺めることが出来る日が来ると信じています。


私はきっと外天公が、戦国時代に守り抜いた浜通りの復興を、どこかで

見守って下さっていると信じています。


最後に、昨年の震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します。


 二代将軍となった秀忠は、ある時、大名衆を集めて江戸城にて酒宴を開いた。秀忠は利胤を試し、利胤に対して、


「政宗に杯をすすめよ。」


 と言った。驚いた利胤は中座し、土井利勝を呼び、


「それがしの父は政宗と不仲であり、いくら上様のご命令とあれども、お受けすることは出来ません。」


 と言い、利勝は秀忠にそれを伝え、その場は無事に済んだ。


 またある日、政宗は井伊直孝の仲介で利胤と和解しようとしたが、この話を聞いた利胤は、


「相馬家は伊達殿のお陰で本領を安堵することが出来ました。その事に関しては感謝しておりますが、伊達は相馬にとって長年の仇敵であるため、私的に和解することは出来ません。」


 と断り、伊達との敵対関係を貫いた。


 ところがその利胤は、寛永二年九月十日に四十五歳の若さで他界した。


 残された利胤の嫡子である六歳の虎之助は、奥州中村藩の二代藩主となり、義胤はその後見役となった。


 虎之助は佐竹義宣より「義」の字を貰い、祖父と同じく「義胤」と名乗った。義胤は老体に鞭を打って同じ名の孫を補佐した。


 そして寛永十二年の冬、八十八歳の義胤は危篤に陥った。義胤は、十六歳になった孫の義胤に次の遺言を残した。


一、幾度登城するといえども、始めての御礼の様に慎むべきこと。


一、弓馬は侍の嗜む所、読書は諸用の本、いずれがかけてもゆくゆく不足となろう。


一、内の者に恥じよ。


 また、孫の義胤の近習や小姓などに対しても次の遺言を残した。


一、行儀などは乱すべからず。万稽古の時、別の雑談は無用である。読書勤学の時は、下々がそれぞれ好む書物などを開いて見るのも後々役に立つもの出る。


一、奉公の儀を心掛けるのは、主人の為、身の為にもなるであろう。生を享ける物は苦の無いことはあろうはずがないのである。


一、主人と雑談の時は、気分のはずみで卑しい調子を出すべきではない。世間話などもよく考えてからお話致すべきである。


 こうして最後まで相馬領と家臣・領民を思い、寛永十二年十一月一六日に義胤は静かに息を引き取った。戒名は蒼霄院殿外天雲公大居士と名づけられ、人々からは外天公と呼ばれた。


 義胤の遺体は、遺言により遺体に甲冑を着せ、伊達家の領地である北側を向けて、小高の同慶寺に葬られた。義胤は死後、相馬領の守護神となったのである。


 一方の政宗も寛永十三年の春に病にかかった。その年の五月一日に病を押して江戸城に登城し、三代将軍の家光に謁見した。家光は五月二十一日に政宗の屋敷に見舞いに行ったが、その三日後の五月二十四日に息を引き取った。義胤の死後、半年のことである。


 こうして両雄の死去により、長年にわたる義胤と政宗の長い戦いは終わったのである。


 (完)

 一方の政宗は、小十郎に対し、


「小十郎、家康のあの顔を見たか。天下人をからかうのも面白いものじゃ。」


「殿もよっぽどのひねくれ者ですな。相馬を助けて欲しいのであれば、素直にそう言えば良いではないですか。」


「まあ固いことを言うな。しかしこれで家康は相馬を潰せまい。家康が死んでわしが天下を狙う時には、義胤は味方してくれるかもしれんな。」


 両者の思惑をよそに、義胤・蜜胤は本領安堵の知らせを大いに喜び、御礼を言上する為に、家康・秀忠に謁見した。家康は義胤・蜜胤に対し、


「今回の件、潔く真実をありのままに訴訟した事、殊勝である。これからは我らの為に大いに忠誠に励まれよ。」
と伝えた。


 その後、義胤は家督を蜜胤に譲って隠居し、蜜胤は奥州中村藩の初代藩主となった。蜜胤は秀忠の側近である土井利勝より「利」の字を貰い、名を「利胤」と改めた。さらに同じく秀忠の側近である土屋忠直の妹を秀忠が養女として迎え、利胤に嫁がせた。


 こうして相馬家は譜代大名に近い存在となり、利胤は徳川への忠誠の証として、慶長十六年、居城を小高城から伊達領に近い中村城に移し、政宗への備えとした。


 一方の政宗は、徳川政権が磐石になるに従い、天下取りの野心を捨て、家康や秀忠から信頼される様になった。元和二年に家康は病に倒れ、枕元に政宗を呼び、秀忠の将来を託して逝去した。