戦前、父が台湾、朝鮮、満州國へ渡ったことは、すでに紹介しました。その時乗船したと思われる船の絵葉書です。

以下の説明文は、ネットで調べ、それらを参考にしています。

 これらの信濃丸、香港丸の絵葉書は、乗船の際に乗客に配布されたものと思われる。

 

 信濃丸、調べてみるととても波瀾万丈な船歴を持っているようです。元々は日本郵船のシアトル航路用の貨客船として造られたものでした。しかし、この船は日露戦争時、海軍に徴用され仮装巡洋艦として哨戒中にバルチック艦隊を発見し「敵艦見ゆ」を通報を送信したことで有名です。

 日露戦争後は仮装巡洋艦としての役目を終え、その後、神戸〜基隆(台湾北部にある省轄市)の貨客船となりました。

 太平洋戦争時には再び軍に徴用され輸送船として使われました。その後、漁船として使われ、終戦時にはシベリアからの引揚船として使われ、そして1951年に解体されました。 


 香港丸は、ネットで検索すると「大阪商船株式会社 神戸大連連絡船」とあるので乗船したこと間違いないと。

日本丸級貨客船三隻のうちの第三船で、第一船は、日本丸。第二船は、亜米利加丸。

 天龍は、客船でなく日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。天龍は1917年(大正6年)5月17日に起工、1918年(大正7年)3月11日に進水、1919年(大正8年)11月20日に竣工。

 この絵葉書に押してあるスタンプには「大正七、三、十一 進水記念 横須賀海軍工廠」と読み取れる。父の手元になぜあるのか不明。