今日、8日は、延命閣地蔵堂の御開帳の日です。サイクリングを兼ねて延命閣に安置されているランドセル地蔵尊へ詣でる。

上記は、元八王子地域住民協議会が発行者の「もっと元八王子」から相即寺部分の引用です。この冊子は、和紙を用い手作り綴じ本です。内容と共にしみじみと読むことができます。

延命閣地蔵堂の内部。左は延命地蔵尊。右側に並ぶお地蔵さんは、八王子城落城の時の戦死者を弔うお地蔵さんたちです。

手を合わせたランドセルお地蔵さんです。向かって左足元(赤線)にランドセルが置かれています。

1. 昨日の日経朝刊記事「ランドセル 息子生きた証」を読ん 

  で、思い出したことがあります。

  サイクリング途上で八王子市・相即寺に立ち寄った時のことでした。本堂への参道、左側に不思議なランドセルを背負ったお地蔵さんに出会いました。

 地蔵堂の説明に「昭和20年7月8日、米軍機P51の機銃掃射で品川区から疎開していた神尾明治が元八王子の隣保館で犠牲になった。隣の相即寺地蔵堂の中に息子の顔に似たお地蔵さんに、母が掛けたランドセルが今もそのお地蔵さんに背負われている」とあります。この地蔵さんは、地蔵堂の中に安置されています。

 地蔵堂のご開帳は毎年6月3日、7月8日、8月8日の3回です。来月8日は是非詣でたいと考えています。

写真のお地蔵さんはレプリカです。

 

 

2.天正18年(1590)八王子城落城のさい相即寺の縁故者

 283名が 戦死、その遺体を境内の埋葬。

 明和8年(1771)延命閣地蔵堂を建立し153躰の地蔵尊を納め戦士者の霊を供養しています。(元八王子地域住民協議会発行「もっと元八王子」より一部引用)

1.例年、5月末頃に小学校の水泳指導に向けたプール清掃が

 行われます。その前に、プールに生息しているヤゴを救出

 する「ヤゴ救出作戦」を3年生が行います。救出したヤゴ

 は、羽化して成虫になるまで飼育・観察しています。

2022年5月16日実施「ヤゴ救出作戦」の一コマです。
 

2.しかし、数年前からヤゴの生息数が激減し、水位を下げた

 プールに入って救出作戦を行う機会がなくなりました。

 そこで、ボランティアの方々が子どもたちに代わってヤゴ

 を捕獲し、3年生に提供しています。子どもたちは、その

 ヤゴを羽化して成虫になるまで飼育・観察しています。

 子どもたちの話では、今年は25匹が無事に羽化し、大空へ

 飛び立っていったそうです。

2026年6月10日撮影 子どもたちが飼育管理を担当しています。
 

3.私も捕獲したヤゴを分けてもらい、自宅の水槽で飼育して

 います。今朝(11日早朝)、羽化したトンボが飛び立つ瞬

 間を見ることができました。これまで羽化後の抜け殻は何

 度も見てきましたが、羽化したトンボが飛び立つ姿を実際

 に目にしたのは、今回の飼育で初のきかいでした。

深夜就寝前に水槽を除くと・・羽化候補生が水面にまで上昇、翌朝が楽しみだが・・・
羽化後の抜け殻
今朝の水槽風景、アカネ系のトンボ。
 

 7枚の黄ばんだプロマイド風の写真がでてきた。1枚を除いて裏に「POST CARD」の印字がある。

父が購入したか、母のものか判然としないが、おそらくこれらは、大正末期か昭和初期の日本人が「西洋っぽい憧れを強く意識した時代のもののように思われる。

 だから写真も、洋画スター風 、キネマ女優風、西洋的で都会的でハイカラというメージ を強調している。

 写真の片隅のエンボスに「KINEMA」、「MONOPOLY」と一緒に松竹のロゴのようなものが認められる。

 

 

 

 

開成中学の学帽の少年とハーモニカ・・・時代を感じさせる。右下角にエンボスが認められる

尾崎紅葉「金色夜叉」の有名な”熱海の海岸・・・”のシーン

自宅からほんの軽い気持ちで14時頃出発。多摩川のサイクリングロードを走るつもりで。ところが関戸橋のところで久しぶりに二子玉川まで行こうと決める。かなり強い風には苦しめられたが、何とか陽が落ちる前に帰宅できた。

 

多摩川左岸・二ヶ領上河原堰.。強風の中ウインドサーフィンをする人

多摩川左岸下流から見た二ヶ領河原堰。「山田太一著「岸辺のアルバム」の舞台となった場所。

新二子橋を望む、左は野川。この先で多摩川に合流

玉川高島屋S・C

多摩川右岸から見た二ヶ領河原堰

中央が正一位船島稲荷大明神。右が稲荷社沓堂

正一位船島稲荷大明神 境内より見た二ヶ領河原堰。たびたび水害に合ったためかお稲荷さん、灯ろうなど金属で保護されている

二ヶ領上河原堰を望む

16時半撮影、二ヶ領上河原堰上流で、水鏡に映る私の影。これ以降ひたすら家路へ
 

 

 

 

 

  このシリーズはネタ切れで大分長い間休んでいましたが、新
たな発見がありましたので、再開いたします。

 關東軍劍術大會記念繪葉書の入っている袋には昭和12年6月と
印刷されています。
 AIによると「昭和12年6月に満洲(現在の中国東北部)に駐
屯していた大日本帝国陸軍の
關東軍が開催した剣術大会を記念
して発行された絵はがき(絵葉書)です。

 昭和12年7月には日中戦争(盧溝橋事件)勃発していますから、
その直前の緊迫した状況下で関東軍における武道奨励や軍の士
気高揚の大会だったのでしょう。


 臨場(りんじょう)軍司令官及大会委員長同副長

各試合場巡祝の軍司令官

試合会場全景

両手軍刀術(剣道試合)
異種白兵(剣道と銃剣の試合)

 

絵葉書の裏の切手を貼る部分に「軍事郵便」と印刷。
軍事郵便の差出人は、戦地にいる軍人や軍属などに陰られ、戦地から内地への郵便は無料。内地から戦地への郵便は原則有料だったようです。
 

 一橋大学小平キャンパス構内の多くの樹木が最近伐採されました。その切株と切られた太い幹の山をみると痛々しさを覚えます。

 だいぶ前、入学早々の1年生と、ちょうど今頃の時期、虫探した場所の樹木も皆無となりました。

 理由は定かではありませんが、枯れ枝の落下の危険、大量の落ち葉処理など近隣からの問題提起があったのかもしれませんが・・・・。

玉川上水側から、伐採された幹の山。背景は人工芝の敷き詰められたグランド。

延々と続く切株と伐採された幹の山・右側のレンガ色の建物は如水スポーツプラザ

正門の右側の風景、ここも切られた幹の山。

 2026年4月8日付日経朝刊「昭和史 スケッチブック-「消えた徴兵忌避者たち」が目に留まる。ある徴兵忌避者の逃避行に触れている。その中で「奉公袋」について触れている。逃避行中に身元調べの時は「奉公袋と在郷軍人手帳を憲兵の鼻先に突き付けて」窮地を脱したと。 他の忌避者の例も紹介されている。

 ヨーロッパ、中東での戦争に向き合っている若者たちに思いをはせる。

 

 旧家の土蔵からだいぶ前にいただいた小道具類の中に汚れた皺くちゃの布があった。これまで気に掛けずに放置していた。

 最近、改めて広げてみると「奉公袋」が目に入りました。

今の時代、死語の感のある「奉公」に興味を覚えネットで調べてみました。 

 

奉公袋(ほうこうぶくろ)とは:

 『太平洋戦争時、軍隊へ入営・召集される兵士が、必要な書類や貴重品、身の回りの品を入れて持参するために渡された木綿製の袋です。

 中身は軍隊手帳、召集令状、印鑑、勲章、現金、預金通帳、日用品(下着、手ぬぐい、洗面用具、針糸)などが一般的で、海軍では「応召袋」と呼ばれました。』

 

 

2月7日、降り始め

2月7日 21時50分

2月8日 4時50分

2月8日 4時53分 小平国際キャンパス

2月8日 5時40分 重みに耐えている孟宗竹

2月8日 6時30分 庭の風景

2月8日 17時40分雪雲の向こうにぼんやりと太陽が

2月8日 17時50分 イルミネーション

2月9日 6時 月が輝いている