



▲ビリケン商会製の初代ガメラ
目はアクリル球で改造
ギター練習しなくなって
いったいどれだけ経つんだろうか?
自分のギター練習は
スケールがどうだとか
運指の練習だとかそんなんじゃなかった。
もちろん挑戦は何度かしたことはあったけど
まったく楽しくないから
すぐにやめてしまっていた。
なんか違う。
ギターは楽しくなくてはいけない。
だからこんな練習法長続きしなかった。
せいぜい1時間が限度。
だからなんだろう。
いつまで経っても
ギター上達しないのは。
でもそのうちギターの上達なんて
どうでもよくなってきた。
上達しないから諦めたって言った方が
正確かもしれない。
だって楽しくないギターは
弾きたくないから。
そのうちに興味の対象は
技巧派ギタリストのいない
バンドになった。
今も速弾きには
強い憧れは持ってる。
その一方で
そんなことどうでもいいとも思ってる。
速さも表現の仕方の一部だから。
速弾きか?一撃必殺の一音か?
問題はそこじゃない。
聴き手をハッとさせ
振り向いてもらうためには
どうすればいいか?
聴き手にどれだけの
インパクトを与えられるかどうかが
最重要だ。
速弾きはそれのための
手段であるべきだし方法論にすぎない。
一撃必殺の一音も同じことだ。
無理して不得手なことに
手を付けたところで
得意な方に敵うわけがない。
ようは勝てそうなところで
勝負するってことかな?
とは言うものの反面
これはほぼ自分に対する言い訳だ。
練習嫌いな自分が
ギターが上達しないことを
正当化しているわけだ。
なぜなら
正直な気持ちとして
速弾きには
今も強い憧れは持ってるから。
高速ギタリストは
こんなこと書かずとも
説明不要に素直にカッコいいし
自分の感覚が
カッコいいって感じてしまう。
やっぱり言い訳だ。