
1968年製 Fender Telecaster 貼りメイプル(左)と
2001年製 Gibson Lespaul 1959 Historic Collection
貼りメイプル指板は指に吸い付く感じ
これがイヤだっていう人結構いるらしいです。
購入時楽器屋のオヤジさんに言われました。
今月はなんだか
ギターのことばかり書いてますね。
しかも自分のことばかり。
まぁいつも自分のことばかりですが。
ギターコピーに対する考え方も
コメント拝見させていただくと
みんなそれぞれ考え方ありますね。
でも大きくふたつにわけると
アドリブ的雰囲気重視派と
完コピ派にわかれるのかな?
ただアプローチの仕方は違っても
目標は自分というギタリストになるみたいな感じで
みな一緒なんだな〜〜って思いました。
そしてその目標も
これまたみんなさまざまなんでしょうね。
僕は今まで単純に上手くなりたいとは思っていても
どう上手くなりたいのか
言葉では表現できない感じでした。
しかしブログで何回かにわけて
ギターのこと書いて
みなさんの考え方をお聞きしているうちに
自分がどういうものを目指しているのか
そして自分にとっての
上手いってどういうことなのか
おおよそ確認できた感じです。
昨日レッド・ツェッペリンのライブ盤で
1976年リリースの
「永遠の歌」のこと書きましたが
その中で2007年の再発盤では
「天国への階段」のギターソロのミスが修正されて
それがとても残念だった
みたいなこと書いたのですが
僕が目指す上手いって
まさにこういうことなんです。
正確にギターを弾くことができるって
普通に上手いって思いますし凄いと思います。
もちろん自分もこれを目指しているし
速弾きとかどんな複雑な運指にも対応できる
ギタリストになりたいし憧れます。
でもただこれだけだったら
機械でも代用可能なのかな?
きっとれだけじゃ片手落ちなんです。
僕がコピーしてていつも気になる部分ってのが
ギタリストさんがインプロビゼーションで
ちょっと怪しげなピッキングとか
ちょっとした迷いなんかで
リズムの中で微妙にフラつくあの感じ!
あれが凄く気になるし魅力なんです。
ここがギタリストさんの無意識の感情を
ギターで表現している部分だと思うのです。
おそらくこれってギタリストさんの
歩んできた歴史が凝縮された部分なのかな?
そしてそれは弾かれている方だけのものだし
機械では再現できない
とても人間的な部分だと思うんです。
で今回のコピーの目的のひとつも
そこをどう自分の中に
自然に表現できるかってことなんです。
自分は練習嫌いだし努力を怠ってきたから
ただのヘタクソ。
だからこそ気付いたとも言えるんですが。
ミスが凄く魅力的に聴こえる。
これが僕の上手いという観念です。
現在の自分は正確さもなければ間違いばかり。
ミスにも上手いミスと下手なミスがある。
自分のは間違いなく下手な間違いなのだ。
どっちつかずのただのヘタクソなのだ。
僕はミスに味のあるギタリストになりたい。
僕は機械人間じゃない
代用品がいない顔のわかるギタリストになりたい。