
▲次男が小学校低学年の時に作った宝箱。数年前ゴミに出される寸前、僕が引き取りました。周囲はこんなものどうするのかと言い、呆れ返ってました。僕にとってはずっと抱きしめていたい宝箱なのだが…
先日小さな子の話を書いていたら
自分の息子たちが
まだ小さかった時のことを思い出した。
僕は今でこそ自分の時間を自分のため
好き勝手に使っているけど
子供が小さかったころはそうはいかなかった。
赤ん坊のころは
3時間刻みで泣く子に縛られた生活。
この時始めてわかった。
子供を持つと自分のちっぽけな我など通用しない。
子供中心の生活に切り替わる。
ガマンもたくさんする。
実は親は子供を育ててはいるけど
子供に育てられていることに気付く。
もちろん躾けもするから怒ることもある。
いくら躾けといえども
怒るというのは後味の悪いものだ。
怒る度に泣かれてしまいイヤな思いが残る。
今もあの泣き顔が頭から離れないまま
たまに食事中の息子の顔をジッと見つめていると
キモッて言われる。
すっかり生意気になって
泣いていた頃の面影はない。
だけどこのセリフがちょっとだけど救いにもなる。
小さかった頃と変わらないしぐさは
今もどこかに残っている。
それを垣間見て涙ぐむ。
人生がもしも80年だとしたら
この家族でいられるのは人生の4分の1程度。
この宝箱には
どれだけ思い出をたくさん詰め込めたら
満足できるのだろう?
宝箱はいくらあっても足りないのでしょうね。
だから今を大切にしたい。