虚像と実像 制作日記 4回目 | がらくた通り3丁目

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人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

新曲ができました。
タイトルは「虚像と実像」
ご試聴のほどぜひよろしくお願いいたします。
ご感想をいただければ幸いです。

もしくはこちらで
https://soundcloud.com/user82653523/06-27


1993年ころロッキン・オンで
The Whoの名曲「Substitute」
邦題「恋のピンチヒッター」を
取り上げた寄稿がありました。

僕はこのテキストを
「虚像と実像」の歌詞のモチーフにしました。

おおまかな内容と
僕の考えもちょっと加味すると

よく耳にする自分は誰にもわかってもらえなくてもいい。
わかってくれる人にだけわかってもらえさえすれば。
一聴すれば素敵な仲間意識にも似たこの発言。

自分という人間はこうだと思い込んでる自分。

自分という存在。
それを一番把握しているのは
果たして言った本人だといえるのだろうか?

自分の理想というものは
自分が一番わかっているとは思いますが
行動を起こしたとき、
それが果たして100%機能しているのだろうか?
自分の行動を客観的に見ることができるのは
自分以外の人間ではなかろうか。

だとしたら
自分はこうだと思い込んでいる自分を
わかってもらうことに意味があるのだろうか?

逆に言えばそれは思い込んでいる自分像を
他人に押しつけているだけなのでは?

また、人は誰もが他人と接しはじめた時
自分の中に身勝手な相手像を作っていき
自分の中で作ったその虚像と接しはじめる。

その相手が恋人であった場合
恋人そのものではなく
自分が作った都合のいい恋人の虚像を作り
それを愛しているにすぎない。

だから彼女や彼じゃなくてもいい
別れてもまた別の人にその虚像を作り
愛すればいいだけ。

結局人を好きになるのに
相手を理解するという行為自体どうでもいい話。

誤解だらけの理解なのだから。

相手を好きになることに理解など不要。

ただ好きという感情だけでいい。

なんかこんな感じです。
ちょっとだけ自分の意見も入ってますが。

「恋のピンチヒッター」といえば
すかんちの「恋のT.K.O」が酷似。

〈つづく〉