ツェッペリンへの道程 第22回 | がらくた通り3丁目

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人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

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▲「ロッキン・オン」1992年4月号表紙とマニック・ストリート・プリーチャーズの記事扉。マニックスは「ガンズ&ローゼズ」と「クラッシュ」のファンだと公言。ガンズの「It's So Easy」もライヴでカバーしておりました。表紙のボウイ。ティン・マシーンのボウイです。そういえばティン・マシーンって結局何だったのかな?デヴィッド・ボウイは知らないけどティン・マシーンはかっこいいという年齢の離れた驚くべき後輩がいました

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▲「ロッキン・オン」1993年9月号。この頃のスウェード人気は凄まじかったです。「マニックス」も「スウェード」もオリジナル・メンバーがいなくなった時点であまり興味がなくなってしまいました

81年くらいから
カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、
シーナ・イーストンを聞くも、
すぐツェッペリンを介して
70年代ロックを聞くようになってしまい、
80年代アーティストはほとんど聞かずじまい。

2000年頃からデュラン・デュラン、
エコー&ザ・バニーメンなど再評価する始末。

そうなのです。僕は80年代をスルーしてしまった。
80年代はほとんどツェッペリン一色でした。

80年代も終わりを告げる頃
マンチェ・ブームが勃発。
その中心となる
ストーン・ローゼズなるバンドに興味を持ち
聞く機会にも恵まれましたが、
70年代の音に慣れた僕の耳には
彼らの音は届きませんでした。

現代の音楽を聞くという試みに失敗し、
落胆しながら迎えた90年代。

しかし93年にあるバンドの音が
僕のハートを鷲づかみにしました。

「マニック・ストリート・プリチャーズ」です。

パンクのアテテュードで全身武装。
テクニック至上主義の80年代のギターとは
一線を画すそのプレイ。

2枚組のファースト・アルバムをリリースして
チャート1位にたたき込んで
解散するという声明を発した彼ら。

93年には札幌にもやってきました。

その後バンドの精神性の柱ともいうべき
リッチー・ジェームスが失踪。

結局ファースト・アルバムは
1位にもならなかったし解散もせず。

皮肉にもリッチー失踪後に
UKの国民的バンドとなった彼ら。

このバンド、音楽性は全く違うけど
ピンク・フロイドに似ている。

今のマニックスは
ロジャー・ウォーターズのいないピンク・フロイド。

つまり精神性支柱がいないから
なにか物足りない。

一般的には90年代の扉を開けたのは
ストーン・ローゼズということになっておりますが
僕に90年代の扉をあけさせてくれたのはマニックスでした。

そしてもうひとつ僕を虜にしたバンドが「スウェード」
オリジナルギタリストのバーナード・バトラー
そのギター・プレイに関心してしまいました。

テクニック的には平均的なのですが
そのアイディアあふれるプレイに惚れてしまいました。

音楽にはテクニックよりも大事なことがあるのだ
ということを教えられた気がしました。

また、スタイルカウンシルを解散させたのち、
最初はソロとしてもたり気味だった
ポール・ウェラー。

この頃リリースされた
「ワイルド・ウッド」も好きでした。
彼はこのアルバムを足がかりに
ソロとしてのキャリアを築いていった感じがします。

この頃のロック界は「レニー・クラヴィッツ」など
サウンドが70年代回帰していきます。
そういえばファッションも。

僕にとって90年代「現代」のロックを聞くための環境が
御膳立てされたのでした。

そんなある日、長い沈黙を守り通した
あるバンドの問題作のリリースが突然告知。
1994年の12月のことでした。

〈つづく〉

スウェードの「Pantomime Horse」


マニック・ストリート・プリーチャーズの
「Slash 'N' Burn」