ツェッペリンへの道程 第8回 | がらくた通り3丁目

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人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

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▲「MUSIC LIFE」1980年11月号。表紙は「CLASH」
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▲この号のグラビアページ。上段左ページにはロバート・フリップ大先生が。最下段はこのグラビアの本文です。ライヴ写真は伝説の「モンスターズ・オブ・ロック」写真説明には「1980年8月16日、レインボーのコージー・パウエルが終わった」で締めくくられている
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▲また142ページには、その元レインボーのロニー・ジェイムス・ディオが加入したブラック・サバスの記事が。このスペースでは全文収まりきらないので下にリード文の拡大画像を追記させていただきます

フォーク1
フォーク2
フォーク3
▲「アリス」が表紙の「ヤング・フォーク」1977年夏号。ユーミンの記事が。記事のモチーフが美大出の彼女らしい

気がつけば
友人達はおおむねレインボー派と
ツェッペリン派ばかりに。

レインボーが大好きな後輩に
そのギタリストのリッチー・ブラックモアが
ディープ・パープルを脱退して結成したのが
レインボーなのだと
熱心に教えられるのだが
当時の僕には違いがよくわからずじまい。
単に興味なかったんですね。

1978年1月か2月に今は取り壊されてしまった
札幌中島スポーツセンターで
レインボーのライヴがありました。
興奮した客がステージに殺到し
札幌の北星短大の学生が下敷きになり
お亡くなりになるという痛ましい事故がありました。
新聞でも大きく取り上げられました。

僕の級友もそのライヴを見に行っていたのですが
翌日興奮気味にそのライヴの模様を語っておりました。

この事件がきっかけとなり
外タレのコンサートは自粛ムードに。

1990年代中~後半に発刊の「炎」という月刊誌で
リッチー・ブラックモアがこの事故について
とてもショックを受けていたことが綴られていました。

この頃フォーク出身で人気だったのは「アリス」
フォークロック的なアレンジは
僕も嫌いじゃなかったけど、
脚光を浴び、きらびやかすぎて
僕が持つフォークのイメージからはほど遠い。

人気は凄まじかったですが。

僕にとってのフォークは
やはりあの時代だったからこそ
輝いていたのだ。

やがてビートルズを聞くようになりました。
ある深夜番組で見た
「ヘイ・ジュード」と
「レヴォリューション」に興味を持ったのが
きっかけでした。

それまで僕が描いてた
ビートルズのイメージといえば
同じような顔をした人たちが同じ恰好して、
あまりサステインのないギターを
かき鳴らしている古いバンド。

しかし「レヴォリューション」の音は歪んでヘビー。
このプロモーション・ビデオで
ジョージ・ハリスンが弾いている
ルーシーと名づけられた赤いレスポール。
ジョージがエリック・クラプトンから
プレゼントされたものとして有名ですよね。

名曲「While My Guitar Gently Weeps」

クラプトンはこのギターでプレイしたようです。

「ヘイ・ジュード」のコード進行も斬新で
僕はすぐに気にいってしまいました。
「レット・イット・ビー」くらいは
こんな僕でも以前から知ってはいましたが
コード進行が平凡で
あまり好きではありませんでした。

ビートルズを真剣に聞き出してからは
もちろん好きになりましたが。

当時は「Revolver」
「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」
がお気に入りでした。

「Abbey Road」が好きになるのは
もう少し大人になってからでした。

最近は「White Album」収録の
「Martha My Dear」が好きです。

〈つづく〉

ザ・ビートルズ「Hey Jude」


僕が好きだったザ・ビートルズのアルバム
「Revolver」の1曲目「Taxman」と
ポール・ウェラー師匠の70年代後半~80年代初頭のバンド
「ザ・ジャム」の「Start!」という曲がそっくり!
どちらも大好きな曲です。