ツェッペリンへの道程 第4回 | がらくた通り3丁目

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人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

風1

風2

風3
▲1976年3月、共同音楽出版社から発刊された「風の世界PART2」(上)と収録されているグラビアページ。一番下は1975年「つま恋コンサート」の風のステージ。僕はPART3まで購入しました

1975年の夏。
サンヨーの「REC」で
ラジオを聞き始めて数カ月。
ちょっと大人になった気がしていた頃、
サンタナの「哀愁のヨーロッパ」とか
ジグソーの「スカイ・ハイ」が
歌謡曲のチャート番組で
邦楽に雑じって善戦してました。

当時洋楽を聞いたこともなかった僕の耳に
今も印象づいているくらいだから
この2曲がいかに
ヘビーローテーションでONAIRされ
大ヒットしたかが
伺い知ることができると思います。

しかしO君に言わせると深夜放送を聞かなければ
一人前とはいえないらしい。

実際O君たちは
ラジオの深夜番組「オールナイトニッポン」で仕入れた
吉田拓郎さんとか山田パンダさん、南こうせつさんの
フォークの話題ばかり。

僕も頑張って聞いてみることに。
南こうせつさんの番組で
拓郎とかぐや姫によるオールナイト・コンサートの情報を得る。

かぐや姫というグループ、
南こうせつさんがリーダーで
その年の春に解散したばかりだが、
元メンバーの伊勢正三さんと山田パンダさんとともに
このコンサートのために再結成。

この時点では彼らのことは
まったく知りませんでした。

コンサートは8月2日~3日。
この模様を収録したものは拓郎さんと南こうせつさん
双方の「オールナイトニッポン」で
放送されました。

南こうせつさんは興奮気味に
コンサートの模様を語ります。
僕も興奮して聞き入りました。

なにせフォークというジャンルの音楽を聞くのは
以前O君にギターの教則用の曲として
教えてもらった井上陽水さんの「心もよう」以来で
この時がほぼ初体験。

テレビで見たこともないような人たちが
一般の音楽業界から距離を置き、
自分たちのやり方で自分たちの音楽をやる。
そんなアーティストに5万5000人もの観衆が
このコンサートが行われた
静岡県「つま恋」に集まったのだ。

若い人たちが、若い人たちだけの文化を築く。
このコンサートにはそれがドキュメントされている。

当時の彼等からは

テレビに出演しないだとか、
ステージの衣装も特にないとか

業界にとらわれない独自の価値観、
つまり若者文化に大人の介入を許さない。
自分たちの文化は自分たちの手で築くといった
強い決意が感じられました。

その気骨みたいなものが
僕の胸を熱くさせたものでした。

特に吉田拓郎さん。
事実はわかりませんが、
彼が「自分たちの文化は自分たちの手で」という価値観の
先導役だったのではないかと思ってます。

今のミュージシャンはカッコいい音を
カッコいい詩にのせて歌っていて
自身の楽曲の完成度とテクニックは
かなりのものだと思います。

しかし昔のように若者文化は若者たちだけの手で!といった
若者の共同体意識が決定的に欠如していると感じます。

つまり大人の価値観の中で音楽をや・ら・せ・てもらっている。
言い過ぎかもしれませんね。

だけど、音楽で人の胸を熱くはできるけど、何か物足りない。

若者でないという安全圏から傍観者として
こんなことを言うのは卑怯だとは思いますが
若い人のためだけの若い人たちによる音楽文化の発明を
期待しているのです。

海外に目を向けると
音楽を通して文化を築いた事例はいくつもあります。

ヒッピー文化、ウッド・ストック…。
バンドだとその筆頭はビートルズ。
70年代はセックス・ピストルズ
80年代は?
1990年代だとストーン・ローゼズ。

後にパンクのもつイデオロギーと
この当時のフォークって似ているなと感じました。

例えセックス・ピストルズが
マルコム・マクラレーンの作り出した偶像だったとしても、
業界を皮肉ったりちゃかしたりしたことが
計算だったとしても痛快に思えました。

僕がこの時期、フォークに惹かれていたのは
なによりもこのイデオロギーだったのだと思います。

〈つづく〉

ジグソーの「スカイ・ハイ」