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昨日一旦、ルサンチマンの話を
〆るかたちにしたつもりだったのですが…
今度は角度を変えて
『ルサンチマン』という考え方を通して
『美』というものを考えてみたいなと思いました。
これまた、わたしがこのところ
引っかかり続けているテーマでもあります。
『美』というとかなり範囲大きいですが、
今回は、『ルッキズム』と関わる部分ですかね…
容姿に関する『美』について。
昨今のルッキズムは加熱する一方のようにも思います。
「ルッキズムは良くない」という風潮が一見あるようでいて
逆に、現実的には、より高まっているように感じます。
若者や一部の女性(いや、男性もかな)の間では、
見た目、容姿や年齢やその人のセンスなどによって
人を評価したり批判したり差別したりするような、
ほとんど“ハラスメント”や“いじめ”に近いことも
SNSなどでは平然と行われています。
わたしにしても、ついついテレビなどを観ていて、
俳優さんやタレントさんの容姿について口にしてしまうことがあります。
小学生の息子は、以前から
わたしが誰かの見た目や身体のことについて言及することを
快く思っていないようです。
気をつけなきゃですね、ほんと💦💦
幼い子どもというのは、もともとはそういうものなのだとも思います。
余程でなければ、容姿で人を判断しないというか…
大人がそうする姿を見ているから
徐々にそれが“教育”となって
子どもたちにも身についてしまうもののように思います。
このような中において、
美容整形・美容医療のようなものの需要が高まってくるのも必然とも言えますし、
また最近はこの流れが若年層にも影響してきているのも頷けます。
これらを鑑みると
大人たちが、「自分がよければいい」「本人さえよければいい」と考える風潮についても、
「本当にそう??」と
もう少し広い視野で考える必要があると思えてきます。
ただ単に、良いもの・悪いもので割り切ることはできないし、
また個人のレベルの満足、で終わる話でもなくなってきていると思うのです。
少なくとも、これだけ美容医療が広まると、
医療制度や、医者の数の偏りや必要な科での不足、医療という‘商売’という観点でも
見直しや変更が必要になったり、新たな流れや問題につながったりと
社会にも大きく影響します。
‘医療’というものの認識や定義も変わってくるかも知れません。
また、どこまでは人として許容なのか?という
倫理的な問題もあるかも知れません。
(ゆくゆくは不老不死を求める流れになるかも知れませんし、移植などもありえますし。)
…おっと、
これは今回も長くなる予感がしてきました💦
何回かに記事を分けるかもです🙏
さて、この社会では
なぜこんなに見た目や容姿が過剰に重視されるようになってきてしまっているのでしょうか??
なぜこんなに“美しい”ことや“美”というものが、権力を持つようになってきているのでしょうか??
そこを考えずして
ただ「美しくなりたい。」「美しいことは良いこと」と、
むやみに『美』を追求することは、
場合によっては危険かもしれません。
『美』とは、なんなのでしょう?
特に、容姿における『美』とは??
「自己満足」「誰かに認めてもらうためではない」という方もいらっしゃいますが、
本当にそうでしょうか??
極端な例えですが…
もし自分以外の全ての人が盲目だとしても、
あなたは、見た目を気にして磨くでしょうか??
それでもお金や時間や身体への負担を負ってまで
美容医療を受けるでしょうか?
もちろん、歯並びやひどい歪みなどの健康を害するものは別として、見た目だけのために、ということで。
そう考えると、やはりそこには
「人からどんなふうに見られるか?」
「社会で何が美しいと評価されているか?」
という要素が必ず含まれるものだと思います。
そして
「自分はこんなはふうに見られたい」
という願望が生まれるのではないかなと。
今の社会の容姿における『美』というのは、
ある程度、固定化された“評価軸”や“価値の基準”のようなものがあると思います。
「これを“美しい”と評価しましょう」というような
暗黙の了解のようなものですね!!
個人が持っている『美』の価値観もまた、
少なからずそういうものに影響されていると思います。
例えば、
顔が小さい、手足が長い、目が大きい、鼻がシュッとしている、まつ毛が長い、左右対称的、肌のキメが細かい、髪がツヤツヤ、毛穴が目立たない、たるみがない、シワやシミがない、若く見える…などなど。
そして、“評価軸”や“価値の基準”があるということは、
上下や優劣が発生するということであり、
そこには、ヒエラルキーのようなものが生まれやすくなります。
今の社会には
“容姿の『美』のヒエラルキー”
というようなものが広がってきているのでは…?と感じますが、あなたはどうお感じですか??
結局、ヒエラルキーという構造は
対象や基準を変えながら、わたしたちの社会にはびこり続けているものとも言えそうです。
重視されるもの・評価されるものが
昔は、身分や地位だったのが
学歴や収入などへと変わり、
今は、SNSなどが広まることで
“見た目”、「どう見えるか?」「どう見られるか?」へ
と変化しているとも言えるのではないでしょうか。
だからこそ、
この社会的なヒエラルキーの上に上がるために
お金も時間も身体への負担もかけて、美しくなろうとしている、という構造があるのかもしれません。。
(もちろん全員ではありませんし、それがお仕事の方もいらっしゃいますので、良し悪しの話ではありません。)
ただこれが、
『美しくなりたい』『美の追求』という言葉の魔法があるために、
自分が追求しているのは『美』であって、
それを通してヒエラルキーの上に上がろうとしているという構造には渦中にいる本人も気づきにくくなっている、ということはあると思います。
わたしも書きながら、なるほど〜ってなっている部分もあります。
もちろんヒエラルキー云々に関係なく
自分が自分を美しいと思えることは
とても良いことで、
心の安定にも寄与してくれるし、
幸せな気持ちにしてくれるのも、
その通りではあるのですが。
また一方で、
自分を美しいと思えない瞬間があっても
それで心が揺れてしまうことがあっても
それで悲しい気持ちになったり
時に悩んだりすることもまた
悪いことではなく、
生きてゆく上では必要な体験だったりもします。
人の気持ちがわかるようになったり、
自分を受容することを学んだり、
無条件で愛することとはどんなことかを考えたり…
それによって、強く優しく広い心を育ててくれることになるなど、
いろんな恩恵もあるわけです。
で、ようやく
『美』についてのルサンチマンについて。笑
長くなってしまったので、今日はここまでとして🙇♀️
次回書いてゆこうと思います。
いつも通り、着地点はまだ見えていませんが…😂
長々と読んでくださりありがとうございます‼️
個人的に、大事な話だと思っているので
読んでいただけて嬉しいです😌
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