今年度に入って、しばらくたちますが

昨年度と今年度の学校役員の新旧引継ぎウンチャラが

3学年のうち、我々の(というか特にワタシの)希望で

対面ではなくオンラインでありました本日。

 

これこそオンラインで良いと思うのだ。

予算の数字上の確認、意義がなければ挙手を、

といったものや、

ウンチャラ理事のご挨拶と拍手などの

「毎年ほぼ微動すらしない」やり取りに

紺スーツ着て(着ないけど)土曜日の朝から

数十名集まる必要性こそ、ない。

 

変革や異論なんて、ワタシの知る限り

紺スーツから出たためしがない。

(一度やったら火だるまになったし。笑)

 

 

 

web上で挙手マークで意思を形として集うのと

ひとところに集まって、形だけ手を挙げるのと

何も変わらないように思うので、

あー、これで終わる♪と自宅で傍聴。

 

毒を吐きますけれど、

こういう「形式」を何より重要に捉え

実質内容はほぼひとつもないんだけれど、

「ワタクシのような者が務められるような」

「身の上に余る役職へのご推薦をいただき」

「学校の先生方のご尽力には常々胸の熱い想いを」

「伝統校の受け継がれた慣習の意義が」などなど、

通訳したら意味のなさ故に省かれるような文言を

3回言ったかな?4回?な慇懃無礼のデパート。

 

これが具体的な話し合いの導入に

使われるならばまだしも、

それから始まりそれに尽きるご挨拶を聞いたとき、

・・これがニッポンをダメにし続けているんだよ、と

がっくし。

 

中学生イコール思春期、

思春期イコール心と体の急成長

イコール荒れる、のステレオタイプで語るのは、

むしろ目の前の一つの事象を掘り下げてない証では?

 

政治家演説みたいな、具体的な内容不在の

シャウトをしたい人っていうのは

時代が流れても常に一定数いる。

学校自体も先生も素晴らしく、

保護者も個人間で親しくなる間柄では

何の違和感もないのだけれど、

どーうーして、こうなるんだろう?

 

建前を形式で包んで右に倣えと真似したら

こんなんでましたけど、ってか。

 

 

だから洗濯物を干しながら流すに限る。