楕円のような優しさを | サボリ通信

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大村幸太郎ブログ

昨日の京都新聞に音楽家の寺尾紗穂さんがコロナ禍の日常についてコラムを寄稿されていた


日頃からホームレスの方たちに積極的に話しかけや差し入れをされている寺尾さんは、いつも渋谷駅にいる馴染みのおじさんがマスクを着けていない事に気付く。
次会うときはマスクを持っていこう。私には数枚あれば良い。おじさんにはそれがどの程度必要なものかわからないけれど、でも自分のできることをしよう



内容はそういった感じでした


こうした行動が出来るのは本当に素晴らしいし凄いと思う。音楽家や芸術家はやはり社会を知って、感じて、はじめて自らの作品を生みだせるものであるとあらためて思う。こうした行動ができる方は本当に憧れる

多分寺尾さんは社会の中、日常の中にある−おかしさ−に気付いてそこから活動を始められたのだと思います。



困っている方に手を差し伸べる。
そうしたことが僕には中々出来ないでいる。



一度、その−おかしさに気づいて寺尾さんのように差し入れをしようと思ったことが僕にもあった



あれはいつの年だったか、新しい年を迎えて恒例の十日恵美須へ仕事帰りに向かう道すがらの事だ−


神社から少し離れたところにスクーターを停め神社に向かおうとしたその脇に、ホームレスの方が吹きさらしのベンチで寝支度しようとしていた。
その日はえらい寒い日で今にも雪が降り出しそうだ。ビニールシートを全身に被り早く寝てしまおう、そんな感じだ。
いや、そんな無茶な。極寒やん、やめとき
心のなかで思いながら僕は声をかける事なくえべっさんへ向かった

屋台をくぐり抜け、ぎゅうぎゅうになりながら並んでいるとついに雪が降ってきた。おっちゃんホンマこの中寝るのか、、

賽銭箱に向かって商売繁昌、家内安全、世界平和願ってお金を投げ入れる

この金を−



毎年の募金箱が僕を呼びとめる「どうぞ恵まれない子たちに愛の手を、僅かでも救える命があります、、」

そう
賽銭もその金もあれば今日、今夜救える命がある。



もしかするとあの人は今夜凍死してしまうかもしれん。

バイク置き場へ向かいながら僕はあのおっちゃんにあったかいコーヒー渡そうと決める。せめてあったかいものをと




おっちゃんはそこに居た。
ビニールシートに息が出来ないくらいにくるまってそのベンチで寝ていた。 青いシートにはもう雪がかかっていた、僕は結局コーヒーを差し入れる事が出来無かった。怖かった。おっちゃんがどう思うか怖かった、そして何よりそうした初めての行動が、人から見られることが、社会から見られることが怖かった

余計なことだと考えたり、寝ているから起こすのもよくない、甘いものは歯に良くない、この方にはこの方の考えがある


ああだったら、こうだ。 こうだったら、ああだ。  あらゆる言い訳を作って飲みこんだ






阿川弘之の小説に−鮨−というのがある。似たようなもので手土産の鮨詰めをホームレスの方に渡そうとする話だ。 散々考えを張り巡らせた挙句、結局オチは何事でもないというもの

そうだったのかもしれない

「今夜寒いから、コーヒーですけど」 その一言だけ
その先はどうなるかは知らない
でも今も引きずっている 

何と対峙しているのかそうしたことも見えないでいる