九年目の3月11日を迎えている。
もう9年。まだ9年。 長くも短くも、思うのは人それぞれだけれど、僕はまだ9年だと思っている。
9年。10年にも満たないこの年月の中で日本も世界も目まぐるしく変わっていったように思う、その目まぐるしさは今なお続いているようで、動きまくる世界情勢、崩れる均衡、サイクル速いトレンド。どれもがアップロード激しくて正直とてもついていけてない。
何となく使っていたカオスって言葉も今こそ使うに等しいというか、今は本当に混沌としているように感じます
それでも例年通りに今日という日は静かに迎えようとしていたのだけれど、昨年末より流行りだしたコロナウィルスという感染力の強いウィルスが日本を含め世界中に蔓延しだし感染者、死者を増やし世界中で脅威となっている
その未知のウィルスに対して人は、現在のところ、耐え忍び、隠れているしか術がない
未知のウィルスは今までにも発生している、今回のウィルスにもやがて有効なワクチン、処方薬は開発されるだろう。 でもそれはイタチごっこで有効なワクチンが出来上がった頃にはまた新たなウィルスも発生していることだと思う。
未知のウィルスとは−未知−である。 だから人類は事前に未知の研究をしておくものだとあらためて思った。 役に立たないお金にならない、そういう未知の基礎研究こそ備えとなるのではないだろうか。
貧困な僕のアタマではそれぐらいしか思いつかないのだけれど、、
今現在ほとんどの人がこの未知のウィルスに苦しめられている。 感染を防ぐために学校は休校、子供たちは自宅待機。イベントたるイベント催事は中止または延期。世界中の工場は稼働停止。ワールドワイドにアタマ使い過ぎが皮肉にもアダになり物品供給は途絶え製品は自国に上がらず。
単純に考えて今の経済とはいとも簡単に麻痺してしまうものなんだと思った
人が今何に恐怖を感じているか、それはコロナウィルスではなく−この先どうなるのだろう?−の不安だと思う。
僕はそう
ウィルスがどうのより、自分の生活に関係するものの歯車が噛み合わなくなり出すか、または外れるか そんな事ばかりを考えてしまう
まあしかし、
自営業というのはほぼ、常にそんな橋ばかり渡らざるを得ないので、吊り橋が崩れ、ぶら下がり、吊られながらも何とか辿り着いたりしているので、、考えてみれば今に始まった話でも無いのだけれど、、
そんな時、どう乗り切るか?というか、、、
開き直りというか、一つの答えは
−なるようになるしかない−
これしか言えなかったりする。
何もかもが未知だから、経験していくしかねーわけです笑
春のイベントや卒業式も入学式も、就職も新しい出来事、新しい友達。。。全部が流れてしまう方もいるだろう
残念だし、不安だし、悲しくて、なんか心細くて、今リアルに「明日」という二文字が見えにくくなっている方もいるかもしれない今日この2020年の3月11日を迎えて。
それで、
こうした不安な気持ちというのは
9年前の今日も同様だったと思います。
もっと切実に現地では「明日」が見えなくて。被災地の現場をボランティアで訪れても僕には「明日」はあった。泥をかいても仮設住宅を訪れても
テレビで涙を流しても「明日」はあった。
今は、その不安がどんなか少しでもわかるチャンスかもしれないと思っている
震災でイベントどころじゃ無くなってしまった事、卒業式が出来なかった事、入学式が延期になった事、学校が流されてしまった事、というか友達も家族も、仕事も車も。
思うと人の歴史とは絶えず打ち負かされてきた史なのかもしれない。何かある度に受け入れるしかなくて、力が及ばなくて、回避できなくて、痛めつけられて。
でも今まだここに、人の歴史上の前線に僕らは立っているわけで、まがりなりにも微力ながらも逃げおおせてきている
弱いから工夫して、弱いから考えて、弱いから励ましあう
やってこれたのは−弱さ−を知っているからなのだと思う
叶わなくて思い通りにならず、それでもやれるのは、人には気持ちや弱さが分かる能力があるからだと思う。
友達や他人でも話を聞いてもらいながら、上司が一杯と声かけてくれたから、誰かと気持ちを話したり聞いたり、そうした少しずつも脅威への回避に繋がってゆくのだと思う
顔見るだけでも、電話でも。それこそ今はウェブ上でも。 あと、いい加減な言い方ですが僕からはやっぱり「−なるようになるしかない−」 で、いいと思います。
どう運んでも
それでも人生は続く、だから