眠れる虎のVISION | 真珠のドラゴン

真珠のドラゴン

ブログの説明を入力します。


伊豆獣貫道を抜けると伊豆ではなかった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『やすな』!どっちへ行くのぉー?

南よ、海が見える方!!

ぼく、ビスビーみたいな街に住みたいな。

『カタウデ』!ラジオつけて!
ロケットパンチぶっ放しちゃったから、手がふさがってるの!はやくぅ!!





$銅の馬の背に乗って

川畑康菜 著

伊豆の踊り虎 ~眠れる虎のvision~

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

$銅の馬の背に乗って $銅の馬の背に乗って


魔女として育てられた『やすな』は、14番目の月の夜に、両親と友達と見知らぬメキシコ人カップルに見送られながら、ネコの『カタウデ』と共に飛び立ちました。お母さんとお父さんが拵えてくれた『東猫イン』の『猫の方の』『田』に跨って、都会への憧れを魔法に抱合させてひたすら南へ進みます。この世界では魔法少女は決して珍しくなく、その中で『やすな』は見知らぬ土地の人々に魔女と認知され、自分の才能を発揮させる課題があります。両親の愛に見守られ、沢山の友達に恵まれ、『イルカのミュージックハーモニー』を聴いて気晴らしをし、分身のネコに付き添われていますが、18歳の『やすな』の心はどこか不安で、ひとりになってみると余計に人肌が恋しくなるのでした。

覚悟の甘さと認識の浅さ、そして妥当性に欠けた魔法の妄執に囚われていた少女は雨にうたれ、遂に、『旧天城トンネル』の手前に墜落します。ゴトランド島のビスビーで太陽の光をいっぱい浴びながら生活するのが夢だった『やすな』と『カタウデ』は、しょんぼり暗い『旧天城トンネル』を歩きます。『やすな』はトンネルの中でこれまでの人生を振り返り、自分の奥底にある自己と徹底的に対話することによって、ようやく依存と自立の狭間に揺れている自分に気づくことができたのです。『元々そういう旅だったのよね。』そう自分自身に言い聞かせると、闇から光へ、その複雑な心を照らすように『トンネルの出口』が見えてきました。少女から大人へ、いまどきの通過儀礼のようだけれど、魔法の力に頼らずに、自分の血で『やすな』と『カタウデ』は屈折していた心の壁を破り、象徴的な光の出口へ走り出しました。

やすな<ねえ、わたし伊豆に行きたい!   カタウデ<『イナトリ』で『射的』してぇ!

しかしながら『やすな』と『カタウデ』は出口まであともう少しというところで立ち尽くしてしまいました。若い踊り子とすれ違ったのです。その踊り子は涙を流していました。可憐ながらも怪しい輝きを放つその踊り子は、『やすな』たちとは反対方向の『入り口』に向かって歩いて行きました。『やすな』が振り返ると、そこに踊り子の姿はなく、静謐な薄暗い闇が広がっているだけでした。『やすな』はあの踊り子が暗闇の中で、何を考えているのか気になりました。

カタウデ<やすな・・・。

やすな<カタウデ たーん ばっく!一旦、伊豆はおあずけだよ!

カタウデ<・・・うん。

やすなねえ、カタウデよく聞いて。あの子にとってはあっちが『出口』かもしれないけど、あっちの『出口』はね、どうも『旅は道連れ』といったものがなさそうなのよ。

『やすな』と『カタウデ』は踵を返して、束の間の大人の姿にさよならをし、さきほどよりも猛ダッシュでトンネルの中に向かいました。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

やすな<魔法を失いかけて、節度を忘れだして、はじめて気が付いたの。相手の気持ちをおしはかることもしないでね、エゴイスティックな欲望をぶつけて空を飛んでいたんだって。

カタウデ<うん○ん。僕△も同じ経験□るよ。でも、魔○の効力が切れか△ってるのはやすなが大人に近□いた証拠さ。に○じんのパイ作りをや△なが手伝った□き、ぼくは人間と○うものが、利他愛に△で発展す□とき、その愛は人○を限りなく美△く、やさ□くさせるんだって感じたよ。やすなは魔法を失ったの○はなく、体験的で内在△な契機から、自分の魔法を犠牲にしてまで好きな人のために使える『本当の魔法』を見つけ始め□んだよ。

やすな<うん。。でも、それじゃあ私の大好きなカタウデとはおしゃべりできなくなっちゃうじゃない!!

カタウデ<やす○は優し△んだ□。でも、ぼく○ちお△ゃべりできな□ても、心ではいつでもつ◇がっているよ。これ○らも一緒に△よう□。

普段愛猫を肩にのせて運ぶメッセンジャーは、今日だけ特別に、半ば強引に自分の胸に猫を潜り込ませました。

カタウデ<○△□◇だね。   やすな<うるさいわね!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

$銅の馬の背に乗って 

トンネルを抜けるといつの間にか雨が止んでおり、黄金色の光がやすなたちを包み込みました。夕暮れの中に点在する地上の街並みは、普段空から俯瞰するものとは少し違い、生活の在り所を克明に示していました。おなかが空いていたやすなたちは喫茶店のテラスに座って、森永のパッケージそのもののような分厚い二段重ねのホットケーキをたいらげました。テラスから連なる山々を覗くと、紅葉に染まりつつある渓谷から、風が滑るように吹き込んで、秋の訪れを予感させています。そこでやすなとカタウデは、通りを行き交う人々の話し声や、車のクラクションの喧騒にまぎれて、小さな虎の咆哮を聞きました。喫茶店の主人は、俺には虎の咆哮は聞こえなかったし、第一この周辺には虎など生息していない、でも君たちには聞こえたのかもしれないな。それは、モスキート音のようにものさしで選別されるものではなくて、子供の頃誰もが経験する感覚装置みたいに、外のものが入り込めるように孔がいたるところにからだに開けられているからなんだ、とドーデの名分句を引用して言いました。

カタウデ○ゃあ、主△はからだじ□うの穴がぜんぶ塞が◇てしまったんだね。

カタウデの頭に拳骨を喰らわせて、やすなは頭を下げ主人にお礼を言いました。喫茶店の主人は、まあ俺にもまだ3つか4つくらい空いているかもしれない。流石に虎の咆哮を聞けるような穴は、身をすり減らしていく人生の中ではいち早く消えてしまうものなんだろう。君たちはその摩耗される道程の中で、自分の心に通っていく日々のなにげない生活を、感覚によって切り取って保管していくことが大切なんだ。とにかく全力をつくして生きてみなさい。とくに何をするのかは問題ではない、ただ自分の人生と言えるものを持つことだ。と、今度はヘンリー・ジェイムズを用いて愛想よく笑いました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

$銅の馬の背に乗って  

カタウデの聴覚を頼りに虎の咆哮がした方角へ行ってみると、森の中へと繋がる小さな獣道をやすなたちは発見し、そのぬかるんだ小径を二人は進んでいきました。歩く度に泥の中に足が嵌って、アディダスのフットサルシューズ(トップサラ)に形取られた大きな足跡を残しました。その隣にはオニツカタイガーのランニングシューズをベースにしたタイガーコルセアらしき足跡もありました。かかと部分のソールの厚み部分では、やすなの心は少し揺れ動きましたが、ふと足跡に視線を戻すと、その足跡が徐々に獣のものになっていくことに気がつきました。小径を掻き分けていくと、急に道が開け、竹林に囲まれた場所に出ました。そこにはいかにも怪しげなHIMITSU CLUBという幻想的な雰囲気で彩られた金殿玉楼があったのです。

HIMITSU CLUBは連陳式のコンドミニアムでした。今は旅芸人の踊り子の方が宿泊なさっています。と、コンドミニアムの管理者は言いました。やすなはここに泊まりたい旨と、都会の喧噪から離れたこの場所で、魔女として働き、数日間でいいので居を構えさせてほしい。と、管理者に伝えました。それはありがたいことです。ただ。と、管理者は神妙な表情を浮かべて付け加えました。部屋はあと2つ空いているのですが、生憎です。貸し出すことができないのです。ここのコンドミニアムというものは、区分される一室を貸し出すシステムですが、踊り子が全ての部屋を貸しきってしまったのです。と、申し訳なさそうに言いました。

やすな<全ての部屋を?

3つの部屋全てです。虎が眠っているからなのです。はじめこそは『あちきが宿泊客を傷つけないように』とのことでしたが、近頃はこの屋敷を買い取りたいとの申し出も受けております。確かにこの屋敷は人里から離れたところに立て込めてあり、立地条件も悪く、家主のリゾートステイ以外の集客も見込めない状況ですので、虎(自身)を幽閉するには格好の場所になるのかもしれません。と、管理者はいいました。

やすな<虎が眠っている?

ええ。文字通り虎が眠っております。理由はよく分かりませんが、人間を失いつつあり、虎へと埋没しつつある踊り子が宿泊しております。と、管理者は言いました。泣きながらトンネルを逆走している踊り子を見かけた。と、やすなが説明すると、恐らくその娘に違いないでしょう。覗いてみますか?と管理者が促すと、やすなは見てみたいと一言答えました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

リネン室を横切り閑寂な広間に入ると、至る所に沢山の書物(童話が多い)が転がっていました。『眠れる森の美女』と『いばら姫』、『白雪姫』に『山月記』。やすなはその部屋の片隅に、ピンク色のビロードのカーテンで覆われた巨大な箱状の物体を見つけました。なんだろう、と不思議に思ってカーテンをそっとめくると、それは無機質な鉄で覆われた檻であることを彼女は認識しました。ひんやりとした鉄の感触が手の甲に齎され、やすなは驚いてカーテンから手を離し、管理者に目を向けました。

理性が人間の側にあるうちに自分で鍵をかけるんです。虎にその比重が傾くと、何をしでかすか分からないことを知っているんでしょうね。その後は睡眠薬を飲んで眠るんです。器用な娘ですよ。私たちは彼女から格別被害を受けたわけではなく、寧ろ彼女の煌びやかで生き生きとした踊りから様々なことを学びました。それだのに、彼女は崖から転がるように日毎に虎に近づいているんです。最終目的地である『下田』で、最高のダンスをしたいと踊り子はおっしゃっておりました。ここにある童話やおもちゃは彼女の内面の光の跡なのです。今となってはこの光の跡でさえ枷になり、行動範囲も狭められ、自らの手で己の存在意義を掩蔽する始末です。

もう一度カーテンをめくると、鉄格子の中でスヤスヤ眠る一匹のトラがいました。
やすなは檻の中へ手を伸ばし、その精緻な縞模様に触れようとしたものの、恐怖を感じすぐさま手をひっこめました。

大丈夫、噛みついたりはしませんよ。バルビツール酸系の強い薬理作用が働いていますからね。たとえ彼女が我々に噛みついたとしても、それは虎が本来持ち合わせている残虐な行為からできる傷ではなく、狷介な性格と、人が恋しくて心の触れ合いを求めようとする気持ちの葛藤から起きるわずかながらの瑕瑾だと思ってください。仲嶋梓はそんなタイガーテンプル出身のトラのような自己を観察し分析する明敏な知性を持った心優しい臆病な娘なのです。

むせび泣きにも聞こえた咆哮は、彼女の慟哭だったんだ。やすなは決意しました。

このトラに寄り添ってあげたい。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

真理にたちむかうとき、宇宙が答えを準備してくれるし、そのとき人間は不死を悟る。

ソローは、イギリス産業革命の余波を受けて人々が富の力に執着し、精神を堕落させることに耐えられず、ウォールデン湖畔に入ることで、最も低い経済的生活に身を置き、最も高い精神を手に入れようとした。野菜を作り、飲酒喫煙をせず、人間や自然、文明を考え、価値ある人生、真理の発見の生活を送った。私もソローのように、魔法の桎梏となりつつある人々を、トラとなりつつある女の子を、自然の仮寓者(魔法使い)という立場から救いだすことができるだろうか。

そんなことを考えながら、やすなはひたすらトラの看病に徹しました。彼女の想いとは裏腹に、仲嶋は日頃に虎に近づいていきましたが、自分に初めての友達ができたことの方が勝っているのか、とても幸せそうに見えました。残り少ない時間を二人は共有し、檻の隣に寝床をつくってトラの夢を聞き、やすなはできる範囲でそれを叶えてあげました。

仲嶋梓<やすな、ありがとうトラ。恥ずかしいんだけど、やすなにお願いがあるトラ。あちきの腕は檻からここまで届くトラ。これ以上は伸びないから  、、、 あちきが眠るまで手を繋いでいてほしいトラ。虎になったあちきに巻き込まれないように、八重歯も削ったトラ。分厚い手袋も用意したトラ。
やすな<オーケー。いいよ~ん。

そろそろなんだ。やすなは溢れる感情を精一杯抑えて、おどけて答えました。そして手袋はせずに、ぎゅっとトラの手を握ってあげました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

フランスの宮殿様式を模した金殿玉楼から広がる、森の美しい変化を想いながら、やすなは『眠れる森の美女』をトラに読んであげました。

百年眠り続けたお姫様は、王子様の接吻で目覚め、やがて幸せに暮らしました。

トラは王子様がキスしてくれて自分が目覚めたとき、自分の獰猛な醜態を晒すわけにはいかないから、せめて綺麗な着物を着ていたいトラ。と、言いました。やすなはトラのために袖丈の高い振袖を、今日だけ特別に魔法で拵えてプレゼントしてあげました。紅葉を表現した地紋の中央には優しい顔つきをしたトラがいて、それをみたトラは嬉しそうに微笑みました。トラは、お姫様を自分に置き換えて、もう一回『眠れる森の美女』を読んでほしいと言いました。

百年眠り続けたトラは、王子様の接吻で目覚め、やがて幸せに暮らしましたとさ。

$銅の馬の背に乗って

仲嶋梓やすなと出会えてあちきは幸せだったトラ。

やすな<いつでもそばにいるよ。

やすながそう言うと、トラは安心して深い深い眠りにつきました。

やすなは、画用紙を鋏で茨の形に切り取って、ひんやりとした鉄格子に張り付けていきました。受動的で、環境や運命に抗えずにトラになったお姫様に、心優しい王子様が現れますように。刺々しい茨と共に、この冷たい金属をも焼き払ってくださいますように。でも、どうして、どうして・・・、こんなに涙が溢れてくるんだろう。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

昔の習慣のままやすなはトラの面倒をみようとしましたが、比重が虎にほぼ完全に傾いた仲嶋はひどく混乱して、やすなたちがプレゼントした振袖を引き裂き、檻に激突してひどい傷を負いました。檻に張り付けた茨のモニュメントは剥がれ落ち、剥きだしになった鉄格子には飛散した血飛沫がこびりついて、トラがずるずると死の影に引き込まれていくのが、やすなには手に取るように分かりました。それでも彼女はお昼ごはんの支度をして、蕎麦をふたつのお椀に分けて、1つを仲嶋に渡そうとしました。すると、鉄格子の間から爪を立てた巨大な手が伸びてきて、やすなは避けきれずに、右腕に小さな引っ掻き傷を負いました。蕎麦が入ったお椀はひっくり返り、トラは我に返ると、ただひたすらやすなに謝りました。献身的で深い無私の愛を与えてくれるたった一人の友達に、歯牙を向けてしまった己の醜悪さと惨めさが辛くて、自分が虎に変身していたことが怖くて、仲嶋は大声でわんわん泣き出しました。

誰にだってそういう時はあるよ。私にだって・・・。

やすなは散らかった蕎麦を片づけながら、衰弱しきったトラに優しく話しかけました。トラは自分が人間の側であるうちは、もう恐らくこの時間帯しかないから、なんでもいいから話してほしいトラ。と、言いました。

今日のお昼は手作り蕎麦であったことをやすなはトラに話しました。自分流手作り蕎麦の過程には、ポリ袋に入れた蕎麦の生地をかかとで踏みつけるポイントがあること。ところが魔法に依存していたので、すっかり足腰が弱くなっていたこと。本当は、ダンスが得意なトラにその工程を一緒に手伝ってもらって、おいしい蕎麦を作りたかったこと。

あたりを見渡すと、そこにはそばつゆが染み込んだ本が転がっていました。やすなはその本を拾い上げて表題を確認してみると、それは覚え書きを集めて編まれたパスカルの『パンセ』でした。

・・・・・・・

考えることが人間の偉大さをつくる。
(断章346)

人間は一本の葦にすぎない。自然の中で最も弱い者のひとつである。しかし、それは考える葦なのだ。人間を押し潰すためには、全宇宙が武装する必要はない。蒸気や一滴の水でさえ人間を殺すに足りる。しかし、たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、人間は自分を殺す宇宙よりも気高いと言える。なぜならば、人間は自分が死ぬことを、また宇宙のほうが自分よりも優位だということを知っているからだ。宇宙はこうしたことを何も知らない。だから、わたしたちの尊厳は、すべてこれ、考えることの中に存する。わたしたちはその考えるというところから、立ち上がらなければならないのであり、わたしたちが満たす術を知らない空間や時間から立ち上がるのではないのだ。ゆえに、よく考えるように努力しよう。ここに道徳の原理があるのだ。
(断章347)

・・・・・・・

考えることをやめないこと、か・・・。




やすな<自然的存在としての人間は、時間的にも空間的にも無限の拡がりをもつ世界の中にあって自らの卑小さと孤独をかみしめざるをえない。この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させるけれど、無限というものは原子や素粒子を考えれば分かるように無限小というものがあり、それと比べれば人間は一個の巨大な世界なのよね。

仲嶋梓<だけど、こうして人間は二つの無限を寄るべくもなくさまよう中間的な存在となるんだトラ。人間は、自分がどうして今、ここにいるのか知ることができないんだトラ。現に意識的存在、社会的存在としての人間だって同じなんだトラ。人生の目標は真理と幸福の追求と獲得にあるけど、振る舞いを醒めた目で見れば明らかなように、真理についても、幸福についてもあちきたちは無能力なんだトラ。

やすな<でもあずさは虎になっても、踊り続けてるでしょ?それはあずさにとって踊りというものがあずさの中での真理や幸福を見出す助けになっているからじゃないの?

仲嶋梓<ううん、あちきは虎になったみじめな境遇をあきらめて甘受することさえできないんだトラ。でも、、、こんなみじめな姿になった今でも、あちきの踊りがいろんなダンサー達やいろんな人に伝えられているのをこのひんやりとした暗い檻の中で夢見る時があるんだトラ。

やすな<時々ね、自分で自分を傷つけてしまう夢を見る時があるの。ひとりぼっちの暗い車庫に何台もの車があって、私の命令に遵奉だった車たちが突然唸り声をあげるんだ。あの大きな波が全てを飲み込んでから、意識的にせよ、無意識にせよ、私が惑溺してきた世界はよりいっそう現実味を帯びて、私に迫ってくるようになった。でもね、そんなうつろな意識の中で、誰かの叫び声がして、ガレージシャッターからまばゆい光と、新鮮な空気がおくりこまれるのを私はいつも感じてた。その人にお礼を言いたいのだけれど、目が霞んで、私はその人を認知できない。そうやっていつも目が覚めるんだ。

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

やすなは合鍵を強く握りしめて、檻に設置された頑丈な錠前に手を触れました。

仲嶋梓<やすな!!!入ってきちゃ駄目トラ!!!

やすな<それでも私たちは真理と幸福を望まないわけにはいかないの。たとえあなたの踊りが現実世界で発露されずに運命を享受できないまま虎に変身しようとも、誰かの心の中でその花を開かせたのなら、わたしはあなたをナデナデしてあげたいんだ。心の檻を取り去ってくれたのは、あなたのほうなの。だから怖がらなくていいんだよ。



濡れた瞳でやすなはトラを見つめました。

あなただったんだね。

だから・・・

こっちにおいで

一緒にお蕎麦食べよ。



$銅の馬の背に乗って

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


やすなが檻の中に入ると、トラは生まれたばかりの乳呑み子のように甘えだして、お母さんの乳房をまさぐるしぐさをしました。やすなは抵抗せずに、自分の乳房にトラの口を銜えさせ、包み込むようにぎゅっと抱きしめてあげました。小さいトラは、蕎麦をフミフミする前に、もう少しこのまま抱きしめていてほしいトラ。と、甘えた声で言いました。やすなは、好きなだけいいよ。と、一言添えて、今度は頭をナデナデしてあげました。やすなが小さく泣き出すと、今度はトラが蚯蚓腫れになったやすなの右腕を舐めてあげました。そしてもう一度二人は強く強く抱きしめあいました。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



生と死の対蹠された諸相が融化され、踊り続けるという永劫不壊の世界を知った二人は、内面から発する光の跡を感じ取りました。締め切った窓を思い切り開けると、いつしか二人を蝕んでいた檻は陽の光で溶かされ、祝砲をあげるように、電車の汽笛が大きくこだまし、幸せを演出するように、湖畔の水面が僅かに煌めき始めました。二人にはそれが眩しすぎて、目がくらむほどでしたが、湖畔の周遊路からコチラに手を振る人がいたので、手始めにAiwaのカセットプレーヤーに小沢健二の『ある光』をセットして、その人に向かって出鱈目なダンスを披露しました。




眠れる虎のvision End...


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇