おやぢ(夫)とは隣同士の家で別居なので、「無視」されている以外のモラハラもなく平和に(?)過ごしています
まぁ、この「無視」がある意味、一番酷いとも言えますけどね
コロナ後の体調もやっと回復して、ワンコのパッちゃんのお散歩ができるようになりました
ところで、前記事で義父の「タネ」について書いて思い出しことを書いてみますね
私は子どもの頃から、何でも一生懸命頑張る子でした。
でも、毒母の思い描くような子ども像とは程遠かったみたいです
だからよく
母 「お父さんのタネが悪かったんだ」
父 「違うよ。お母さんの畑が悪かったんだよ」
こんなやりとりが、思春期の私の前で繰り広げられていました
ハッキリ言って、子どもの存在そのものを拒絶してることにもなりますね
あとよく毒母に言われたのは、
「お前は失敗作」
「お前は欠陥商品」
「お前はダメ人間」
これらの言葉は吐かれましたね
学校の中では「明るく楽しい子」っていう位置づけだったけれど、心の中ではいつも自分のことを「ダメ人間」なんだと思っていました。
ただ、子どもは親の作品ではないと思っていたので、
「失敗作」っていう言葉には内心反発していましたね
なぜだか分からないけれど、生まれながらに毒親&モラ夫引き寄せ体質だったみたいです
後に長崎のハウステンボスでコンピューター占いした時に、生年月日と生まれた時間からそれは定めだったみたいだと分かりました
「あなたは、親の意見を押しつけられて育ってきました。
これからは、自分らしく生きていきましょう」
そんなアドバイスだったと思います。
しかし、俺様夫と結婚してしまったために、自分らしく生きられなかった半生
俺様夫は話が通じないので、無視されるのはツラいですけど放っておこうと思います
それでは、
最後までお読みいただきありがとうございました