岐阜といえば金津園が有名ですが
この金津園戦時中移転をして
今の場所に落ち着きました。
柳ヶ瀬界隈にあった貸座敷が
1944年(昭和19年)川崎航空機の宿舎として
接収され移転した先が手力とゆう地
戦時中のため華やかな飾り付けはなく
質素に営業していたため
これまで訪れた遊郭跡地に見られるような
装飾の施された建具などこれっぽっちもなく
印象は トタンの茶色のバラックとも
呼べるような感じ。
この地の外側にはマンションなどが
立ち並び 見える景色も
少し違和感がありました。
雰囲気のある古民家。
遊郭としては手狭な印象
かつては床屋さんでした。
綺麗にお住まいになられてる。は
ここは訪れた人がよくあげてる長屋
一応看板建築
車庫の上のシャッターの意味が不明
奥に行くほど屋根が低い。
入居者募集中です
奥に人がいたのでびっくり
こんな感じの長屋が多かった