こんにちは。
スタッフのひろみです。
セミの鳴き声が聞こえるようになり、すっかり夏になりましたね。
子供達も夏休みがはじまりました。
さて、節子社長はどんな幼少期を過ごしていたのか、どんなお子さんだったのか、お話を聞いたことがあります。
節子社長は4歳の時には「自分一人で生きていくのだ」と決めていたそうです。
その時には大人の意見を全て聞くのではなく、自分で決めるという意思がすでにあったと言います。
そんな節子さんが小学生になる頃には大人びた考え方を持っていたので、周りの同級生たちがとても幼く見えたと言います。
会話もあまり噛み合うはずがなく、節子さんの唯一の友人は近所に住む38歳の女性でした。
小さい頃から宇宙について考えたりすることが好きだった節子さん。
宇宙について自分の思うことを母親に話しても相手にされず、唯一話せるのが彼女だったそうです。
学校から帰ると、毎日彼女の家に遊びに行っていた節子さん。
二人で本当に色々な話をして楽しかったと言います。
お話を聞くと、彼女は節子さんを小学生として見ていたわけでも、接していたわけでもなさそうです。
一人の人間として、大人と同じように節子さんに接し、尊重してお付き合いをされていたのだと分かります。
「今日は流星群が来るから星を見よう。」
そう言って屋上で天体観測をしたり、夜まで過ごしてて家で一緒にご飯を食べて帰っていたりしたそうです。
当時の時代背景もあって、彼女は「あの歳になっても結婚しないで。」と少し稀有な目で見られていたそうです。
母親からも「彼女のところに行くのをやめなさい。」と言われたそうですが、そんな言葉も聞かずに毎日出かけていたと言います。
節子さんの親友の彼女は「外国人と結婚して海外に住む。」と言っていたそうです。
その言葉のまま、節子さんが小学校5年生になった時に彼女はカナダ人と結婚してカナダに移住します。
5年後、日本に戻ってきた彼女と再会しますが、その時の彼女は何かが変わってしまっていて、昔の彼女ではなかったと言います。
深く理解し合って目に見えない絆で結ばれていた親友が昔と違っていたというのはとても寂しかったと思います。
人は人生において、必要な時に必要な人と出会い、必要なことを体験します。
きっとそれには年齢も国籍も性別も立場も関係ないのです。
その関係は時間が経つと変わることもあるかもしれません。
時には「あの時はあんなにわかり合っていたのに。」と相手の姿にがっかりすることもあるかもしれません。
もちろん、関係が変わらずにずっと一緒にいることもあります。
人が人生を通じて色々な学びをする中で、その最中に、時に人は「変わった」ように見えるのかもしれないけれど、
でもまた同じ場所に戻ってくるような気もするのです。
あの時と全く同じではないけれど、それぞれの経験からそれぞれが必要な学びをして気づきを経て、同じようなところに戻るのかもしれない。
自分が持って生まれたもの、自分が何者なのかという人間の本質的な部分についてはあまり変わらないような気がします。
私ももう何十年も会っていませんが、未だに心が通じているような友人がいます。
幼稚園の頃からの幼馴染だったり、留学している時に深く分かり合った友人だったり。
共有した時間と心が通じたあの時の気持ちは色あせることは無く、一度繋がった心は今も繋がっているように感じるのです。
誰しもそういう人は心の中にいるのかもしれません。
夏は少しそんな懐かしい気持ちになります♪
この夏、皆さんにも素敵な出会いがありますように。 *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
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