あるとき、ある人に言われた言葉、
「そんなに子どもがほしかったっけ?」
・・・・・・・・・そうか。
・・・・・・・・・そう言われてみればそうだ。
私は結婚して10年以上、積極的に子づくりを考えてこなかった。
なぜなら、私は仕事をしていて
1年1年、区切りを持った仕事を受け持っていたので、期の途中で妊娠を理由に仕事を離れることができなかった。
そうすると、1年の中で私にとって妊娠が許される期間はごくごくわずか。
もともと妊娠しにくい体質だったと思うので、1度も、うっかりとか予想外にでも、妊娠することはありませんでした。
30歳を超えて、転職の機会が訪れました。
転職するか、子づくりするか迷ったけれど、過去の仕事の実績を考慮していただいて訪れたチャンスだったので、まずは新しい仕事をやってみることにしました。
まずは長くて3年やってみよう、そんな気持ちでした。
仕事はどんどんおもしろくなり、また職位が上がり、部下ができ、度々転勤がありました。
気付いたら36歳になっていました。
新規事業の部門に配属になり、休みがなく、1日最長16時間の勤務が2週間以上続くこともありました。
ヘロヘロで、でも責任をまっとうしなくてはならない、その気持ちだけで、毎日を過ごしていました。
月の残業は100時間を軽く超えていました。
37歳になってすぐ、毎年受けていた子宮頸がんの検査結果がついにグレーゾーンになりました。
お医者さまは言いました。
「子宮があるうちに、子どもを持つことを真剣に考えたほうがいい。」
殴られたような衝撃がありました。
そうか、私は妊娠をまじめに考えてこなかった。
近い将来、子宮を、失うかもしれない。
その場でお医者さまは不妊治療専門のクリニックを一緒に調べてくださいました。
頻繁に通うことになると思うから、なるべく通いやすいところがいいね、と親身になって考えてくださいました。
泣けました
私が働く姿を知っている人たちにしてみたら
どうして急に子どもがほしくなったの?
そんなに子どもがほしかったっけ?
そんな言葉が出てしまうのも無理はないかもしれない。
理屈じゃない、んですよね
スタートが遅かったかもしれない、いや、たぶん遅かった。
自業自得、そう言われてもしかたない。
義母や親せき、友人にはさんざん「若いうちに赤ちゃん産まないと」と言われてきた。
そうだよねー、わかってるわかってる。
そんな風にやり過ごしてきてしまった。
お医者様のひとことで、子宮がまだあるうちに、赤ちゃんを宿したい。
夫の子どもに会いたい。
夫の遺伝子を、できれば残したい。
そう、強く思うようになりました。
その思いにつき動かされたのをきっかけに不妊治療がスタート。
まさか3年もこれにどっぷりの生活になるとは思ってもいませんでしたが
今は上司にも部下にも治療のことを打ち明けて、採卵の日や移植の日には時間の調整をお願いしていますが
さすがに丸3年。
みんな、どう思っているのかな、と思うこともしばしば。
立場上、勤務調整を頼むのが居心地悪く・・・、
いっそ辞めてしまいたいと思うことも何度も何度も何度もありますが
今はその時期じゃないと思いなおすことも多く、悩めるお年頃です