2002年から4年間、
人工透析をしていましたが、
その前後の学校勤務はなかなか厳しい
ものでした。
今回別の病院を受診するにあたって、
これまでの病歴をまとめるように
言われたので過去の日記を読み返して
いると、昔ながら記憶が蘇ってきて…
1998-1999年頃…
透析前、クレアチニンは10前後…
※訂正 下段リンク記事グラフ参照
1999年のクレアチニンは5前後
部活動が盛んの学校の5年、6年の
担任。担当した部活は…
放課後、バスケット部を担当。
季節的には、陸上部、水泳部、相撲部、
体操部も担当。相撲部では昼休み裸で
胸を貸してぶつかり稽古、体操部では
初心者の子ども相手にバク転や
蹴上がりを実演。一生懸命練習した
体操部の子たちはなんと市内で2連覇!
これがあるからやめられない…
部活が終わって暗くなる頃から明日の
授業の準備。夏場は水泳部で数時間水に
浸かった後、19:00頃から通知表書き…
帰宅は毎日21:00過ぎあたりまえ。
日曜日、学区の町会運動会では障害物
リレーに駆り出され、網をくぐり、
南京袋にミノムシのように入り10m位
ジャンプで移動してのバトンタッチ…
部活の子どもたちの手前、無様な姿は
見せられない。クレアチニン10で
※訂正 この頃のクレアチニンは5
これをやるから当然、帰宅すると
体が動かず。
1999年11月
6年生の修学旅行の引率。
日光東照宮では突然の豪雨…
体操部の子が傘が壊れずぶ濡れで
震えている。私も寒かったが自分の
上着着させその子の傘と交換…
日光江戸村に着いた頃には虹が出て
子どもたちは再び元気に遊び出すが
こちらはバッテリー切れで子どもの
荷物番をしながら次の見学に備え
体力充電…
旅行を終え数日過ぎた頃、健診後の
精密検査の結果が出て校長に提出。
校長は教育委員会と協議。
11月下旬突然、校長が昼休みの教室に
来て、「今から教務の先生に引継を
して、明日から年度末まで療養休暇に
入りなさい」と言い渡される。
急なことで、子どもたちには十分な
挨拶もできず、
「先生は体調が良くないので、明日
からお休みします。長くなるので
教務の先生の話をよく聞いて勉強
してください。」とだけ話し、
子どもたちには申し訳なかったが
その翌日から療養休暇に入る。
前任校でも教壇に座ったまま動けなく
なり、先輩に抱きかかえられ、病院に
担ぎ込まれたこともあったので、
校長も万一のことを考えやむを得ない
判断だったのだろう。
教員なら誰しものこと、子どもを前に
すると不思議な力が出てしまい、
ただただ夢中で勤務していたので、
自分では休むタイミングがわからない
でいた。休暇に入ってクラスが心配でも
あったがほっとした面もあった。
その後、クレメジンという炭の粉を
カプセルに入れた薬を、毎食後
20カプセル服用し、透析導入を先延ばし
しながら、数年間学級担任を外れて勤務
したのち、とうとうシャント手術。
こんな流れで2002年人工透析に入り、
外国人への日本語指導担当しながら
地域の学力向上研究の研究主任を担当。
透析中は、片膝を立て、バインダーに
メモ用紙を挟み研究原稿の草案を書く。
4時間ゆっくり眠ることはなかなか
できず。
嗅覚、味覚が失われていく中、
定年までこのまま行くのだろうなと
漠然と考える毎日。数年経過すると
クレアチニンは13にまで上がり、
※追加情報 2004.6 最高13.27
担任も部活動担当も外れても、
午後になるとバッテリー切れの
スマホのようにぐったり…
そして、いろいろな人のきもちが
集まり、重なり2006年腎移植へ…
などというような内容が日記に
書かれていました。
病院に提出するメモを作りながら
改めてドナーをはじめ、関わって
くれた方々に感謝です!
