昨日の日本橋のブログに一言。2011.9.4「日本橋考」に画像があります。

9年前の今日、
ある学校の職員室にいました。
出張の先生の教室の自習監督を無事終え、ほっとしてお茶を飲んでいました。
最初大きめの揺れがありましたが、よくある程度の揺れとたかをくくり、
下校する2年生を見ながらお茶を飲み続けました。

すると、急に尋常ではない揺れとなり、2年の若い担任に子どもたちを校舎から
離すよう指示したあと、プールに目をやると嵐の海のようにあふれんばかりに
波立っているのを見て、非常時であることを感じました。
植木の剪定をしていた校長に指示を仰ぐため、探してみると、脚立の上で
立ち往生。「どうしましょうか…」と教頭…
そこで、緊急放送マイクを取り、避難訓練通り、地震がおさまるまで一時待避後
校庭へ避難するよう指示。
子どもたちは、リアルの地震に緊張したのか、けがもなく、100点満点の避難。

その後、地区担当の教員を配置し、集団下校。親に引き渡しできなかった家は
近所の家に一時預かりを依頼。
夕方、学校が避難所となり、機転を利かせた教頭が手に入れてくれたお握りに
がぶつきながら夜を過ごしました。
幸いにして被害は小さく、避難所もすぐ解除なり、その日は帰宅できました。

確かこの年の2月、東京マラソン移植者の部に出場。
3月末には大好きであったこの学校から異動。
3.11がくると、いつもあの日、あの年のことが思い出されます。