広島に原爆が投下されたあの日から、65年。被爆した方々の65年を思うとき、それは、私たち「戦争を知らない私たち」の想像を遙かに超える苦しみの歳月であったことを、少しでも思い起こさなければならない。
おびただしい犠牲の上に、今の私たちの暮らしが成り立っていること。平和は、人間一人ひとりが築くものであること。今、「生」を受けて、生かされている者として、その責任があること。
毎年、心にとめなければならないこと。
65年前に生き、戦争を知る人たち、被爆した人たちにとって、その「記憶」は一生忘れることのできない、身体に刻まれた「傷」なのに、私たちはそれを知らない。もっと言うと、私たちは、日常の暮らしの中では「忘れること」さえできる。
私たちは、与えられた平和の上で、小さなことで愚痴をこぼしたり、ちょっとしたことで腹を立てたり、人を妬んだり、そんな「わがまま」をしている。平和な毎日があること、そして、これからもずっと続くこと、そのことに何の疑問も持たず、「当たり前」だと信じている。自分は何もしていないのに。なんて傲慢 なのだろうと思った。
戦争を知らない私たちは、過去の悲惨な歴史を知ること・学ぶことを続け、その都度、心にとめておかなければならない。