今朝、ささいなことで家族にムカッときました。


その時は「ささいなこと」と思えなかったから腹を立ててしまったわけだけど、後になって振り返ると、それらは本当に「ささいなこと」である場合が多い。私のイライラの原因って、ほとんどがしょうもないもの。と、わかっていながらも、なかなかこの「短気」を制御できない私。


でも、今朝は「ムカッ」ときてすぐに、別の行動にうつしてみた。


部屋の窓を全開にして、布団を上げて、雑巾を濡らして、床を水拭き。本棚を拭いて、戸棚の溝を拭いて、ベランダに出て、物干し竿を全部拭いて、それから布団を干して、「布団たたき」で思いきり布団を叩く。


パン、パン、パン!


乾いた気持ちのいい音がして、ほこりが舞い上がる。ほこりは陽に照らされて、舞い上がるのをしばらく見ていられる。


パン、パン、パン!


何度か繰り返していると、さっきの「イライラ」は消えてしまっていた。


でも、この勢いで、自分の部屋とベッドと和室とリビングと台所と廊下に掃除機をかけて、洗濯物を干した。


部屋はきれいになるし、心はスッキリするし、いいことだらけ。


私の「イライラ対策」。


イライラしたら、「掃除」だ~ビックリマーク



朝日新聞の「患者を生きる」というコーナー


さまざまな病気について、その病気と向き合う患者さん・ご家族を紹介しながら取り上げられています。


これまで、眼、耳鼻、臓器移植、運動器、といったテーマが取り上げられてきましたが、11月9日からのテーマは「皮膚」。


そのはじめは、「大人のアトピー」でした。自分自身、最も関心のあるテーマです。


予想通り、「日本皮膚科学会のガイドラインに則した『標準治療』こそ、アトピーを治す最善(で唯一)の方法」というような内容でした。


がっかり。


この朝日の記事については、ステロイドを使わない治療をすすめている医師や患者さんたちから、ネット上などでもさまざまな意見が出されていました。


私も、ステロイドを使わずに過ごしている一人としては、この記事にはやっぱり「違うんだよね~」と引っかかるものがあります。


ステロイドを中心とした「標準治療」派と、「ステロイドを使わない」派の対立には、いろいろな経緯や諸事情があるようです。でも、そういうことはわからないし、知りたいとも思わない。必要以上に「アトピー」の情報を集めたり、知識を積み重ねたり、そうやって詳しくなることは、本末転倒だと思うから。


確かに、自分に降りかかっているつらい病気だけど、でも、多くの人にとって生活の中心は「アトピー」ではないはず。


私の日々には、学校の仕事があって、大好きな趣味があって、家族がいて、ワンコがいて、友人たちがいて、おいしいコーヒーがあって、好きな音楽があって、観たい映画と舞台があって、行きたい場所があって、読みたい本があって、考えたいテーマがある。


だから、深く立ち入ることはできないけど、そろそろ、ステロイドが「良い」or「悪い」というだけの議論ではなく、もう一歩先に進むべきではないかと思います。無責任な意見かもしれないけれど。


アトピーには治療の選択肢がある。

ステロイドで良くなる人がいる。

でも、良くならない人もいる。

ステロイドを使わなくても良くなる人がいる。

「アトピー」って他でもない自分のこの身体が治す病気。

身体の持っている力こそ、一番強いのかも。

だから、実は薬のお世話にならなくてもだいじょうぶ。

乗り越えるにはちょっとコツがいるけど、それを応援してくれる人たちはいる。


そんなシンプルなもの。




※「患者を生きる」は、今日から「子どものアトピー」が始まりました。


大人のアトピーと同じで、


「ステロイドは怖い薬」と聞いて使用を止める → ステロイド以外の治療法にはしる(「民間療法」にお金を費やす、とか) → どんどん悪化してしまう → 大学病院(=標準治療の医師)に行き、ステロイド外用剤の適切な量・塗り方を指導してもらい、お風呂で肌を清潔にすることや、十分に保湿する方法を知り、続けると良くなった!


という経過をたどるのかな。


間違ってはいないけどなぁ・・・

中島敦といえば、高校の国語で習った「山月記」しか読んだことがなかった私。情けないことです。


でも、この秋に初めて読んだ中島敦の小説に心を動かされました。遅ればせながら、出会えてよかった。


 ①「悟浄出世」
 ②「悟浄歎異」
 ③「文字禍」


①②は、明代の長編小説「西遊記」を下敷きにしたもの。悟空や三蔵法師に比べてやや陰の薄いキャラクター「沙悟浄」が主人公です。沙悟浄の苦悩や、沙悟浄の目から見た仲間たちの姿が描かれています。


③「文字禍」は、先輩の先生から教えてもらった作品で、これは本当によくできています。「中島敦の世界」+「ファンタジー」が見事で、着想から終末(「落としどころ」かな?)まで見事。


そしてそして、さらにおもしろいのが、万城目学「悟浄出立」。


おそらく、中島敦の二作をふまえて、また新たな万城目学の沙悟浄が描かれています。中島敦の描いたところを、もう一歩進めたという感じでしょうか。きっとこの「一歩」はかなり険しく難しく、誰も挑戦できなかったのかなぁ…とも思います。


この「一歩先」がとてもすばらしいのです。登場人物のことばが、いろいろなことを考えさせてくれます。そして、励まされます。


長いですが、引用します。おすすめです。ぜひ読んでみてください。




「おい、悟浄」そのとき、急に後ろから悟空の声がした。驚いて振り返ると、いつの間にか俺は先頭の悟空を追い越してしまっていた。

「どうしたんだ?」

という悟空の問いに、いや、何でもないと頭を振って、俺は前方に向き直った。何者の気配も感じられない、どこまでも砂に覆われた、むき出しの大地が続いていた。そこには八戒のたてがみも、埃まみれの師父の袈裟も、悟空のトラ皮の腰当ても見当たらない。完全なる未開の眺めは、自分でも不思議なほど新鮮なものに映った。

俺は隣に追いついた悟空に、

「しばらく、先頭を歩いてもいいかな?」

と小声で申し出た。「ああ、もちろん」と悟空はなぜかニヤニヤ笑いながら了承した。

俺はうなずいて、悟空の数歩先へ進んだ。だが、すぐさま振り返って訊ねた。

「すまない、どうやって進む道を決めているんだ?」

「馬鹿か、お前は」

悟空は呆れた声とともに、手綱を引いて馬の動きを止めた。

「こっちが西天ですよ、書かれた立て札が、どこかに用意されているとでも思ったか?ただ、自分が行きたい方向に足を出しさえすればいいんだよ!」

その言葉に、俺は刹那、頭を思いきり打ち叩かれたような衝撃を受けた。

「好きな道を行けよ、悟浄。少し遠回りしたって、また戻ればいいんだ。もっとも、出来ることなら、最短の道をお願いしたいけどね」

という八戒の声を受けながら、俺は背中の荷物を担ぎ直した。

「わかってるよ」

誰の足跡も見当たらない、砂丘が波のように肩を寄せ合う、未踏の世界が俺の正面に広がっていた。大きく息を吸って一歩足を進めた。踏みこんだ沓に吸いつくように寄せる砂が、やがて細かく崩れていくのを見下ろしながら、進むべき道筋に宝杖の先をぐいと差しこんだ。

その瞬間、俺のなかで少しだけ生の風景が変わったような気がした。



万城目学「悟浄出立」
掲載誌:『yomyom』vol.10(2009年3月号)新潮社発行