世間にはいろんな自己啓発本があります。
その自己啓発本を私は読んでいた時期があります。
その時期は私が社会に対して何を提供し、貢献していくか、人生とは、生と死とは、など、人生において必要不可欠な哲学的なことをいろいろと考えていた時期に読んでいたものです。
私は、自己啓発本を読んでいたとき、ある日突然ひらめきました。
自己啓発本の正体がわかったのです。
自己啓発とは感単に言うと、自分に対して自分よりも能力や地位のある偉人からの応援歌だということがわかりました。
人生において必要な哲学や、生と死のような深いことは自己啓発本ではわかりません。
それらの知識というものは、それらに関連する本を徹底的に読むということと、自分の生きる価値観とを同時に考え、整理していくという作業が必要になります。
私が自己啓発といっているものは、いわゆる名言、箴言が集められた本であったり、モチベーションが上がる、頭が良くなるといった自己啓発の類のこ
ただの応援歌を聞いているだけでは、自分にとってなんの利益ももたらしてくれることにはなりません。
名言などを読んだとして、モチベーションが上がるというレベルでは、自分の役割を本当に確信したとは言えないからです。
つまり、自己啓発書を読んでいるうちは、自分のやりたいこと、自分の役割など見つからないということがわかりました。
夢をかなえるための方法論といった類の本もそうです。
夢をかなえることがわからないとは、なりたい自分があり、それに対しての達成するための方法論がわからないという意味です。
イチローの例からみる夢の叶え方
ここで世界レベルの野球選手なったイチローの例で考えて見ましょう。
イチローは、今で言えば世界的に有名なベースボールプレイヤーです。
そのイチローが書いた小学生時代の作文には、自分のなりたい理想像がはっきりと書かれており、それを達成するための中継点も、目標も書かれています。
イチローは小学生時代から理解していたなりたい自分を実現するべく、自分の思ったとおりに事を進め、見事世界的に有名な人になりました。
彼は自分の夢をかなえるための方法論というものを持っていたのでしょうか。
方法論というものこそなかったとは思いますが、彼には未来の圧倒的な自分の理想像がはっきりと理解できていたに違いありません。
圧倒的な臨場感を伴った未来の自分というものを体感できていたからこそ、彼は毎日友達とも遊ばず、学校から帰ってきてもバットを振り続けていました。
世間では、このことを努力したという意味で言うと思いますが、彼からしてみればその考え方はおかしいという見方が正しいです。
彼は、なりたい自分の臨場感を高めるために、ひたすら練習をしていたに過ぎません。
これをさきほどの自己啓発に当てはめてみましょう。
夢をかなえるということは、野球で世界一のトッププレイヤーになるという夢があれば、その夢を細分化し、今自分ができることをやっているだけでいいのです。
しかし、世間で言われている自己啓発とは、夢の叶え方そのものを言っています。
これはおかしなことといわなくてはいけないでしょう。
なりたい自分があるという人はなりたい自分になるために努力をするはずですし、なりたい自分がないという人は夢を持つ必要はなく、そもそも関係ないはずです。
では、なりたい自分があって、自己啓発の本を読むということになんの意味があるのでしょうか。
意味がお分かりになるでしょうか。
夢の叶え方そのものを学ぶという意味は、そもそも矛盾しています。
なりたい自分がない、もしくは見つかっていないという人たちは探せば良い話で、自己啓発の本など読まなくても良いはずです。
夢とは、圧倒的な臨場感を伴わなければ夢になりえません。
先ほど例に上げた自己啓発書とは、ただの応援歌なのです。
みなさんも、夢をかなえる方法の類の本を読まれているのでしたら、今すぐ、読むのをやめ、なりたい自分を確立するということをやるべきです。
ただの応援歌を聞いたとしても、それは一時的に気分が高揚して欲が満たされるだけです。
なりたい自分をみつけるということは大変なことかもしれませんが、あきらめなければ必ず手に入ります。
であるならば、イチローのように、なりたい自分を見つけるまであきらめずに行動し続ける。
その行動そのものが非常に大切なことであって、今の現代人に必要なことではないでしょうか。

