若い人には誰しも”夢”があると思います。
若者がなぜ価値があるのかという風評が出ているのか、具体的に検証していきたいと思います。
価値があるとは、どういったことを指すのでしょう。
価値があるとは、解釈が重ねられ、言語によって次元の階層を登っていく過程で付加されるものです。
といっても意味がわからないと思うので、解説します。
まず、不可能という情報は、言語によって全く情報を付加することができません。
可能性がゼロだからです。
可能性というのは、情報が偶発的に起こりうる可能性そのものを指している言葉です。
つまり、解釈を重ねられないため、価値がゼロとします。
一方、価値があるとは、解釈を無限に重ねられる情報を指す言葉です。
価値とは、可能性がゼロの状態から、可能性を上げられるという意味そのもののことを言います。
では、若者はなぜ夢を持つのでしょう。
それは、価値があるからです。
まだ社会的に成熟しきっていない、子どもの状態の若者は、いくらでも可能性、つまり、解釈が重ねられるため、価値があるのです。
例えていうならば、何も建っていない平地の野原のような状態です。
大人は社会的に知識があり、妻子持ちの家庭もあることでしょう。
よって、土地にすでにビルが建っているのです。
ビルがまだなにも建っていない。土台がなにも形成されていないからこそ、若者には価値があります。
大人はすでにビルが建っているので身動きがとれません。
解釈を重ねようとしても、つまり、増設しようとしても、土台を掘り起こしてまた一から立て直さなければいけないので、お金がかかります。
夢があるということはすばらしいのです。
しかし、その夢を持っていても95%くらいの人は途中で挫折をしてしまうでしょう。
しかし、その夢に絶対的な価値があれば、その夢は夢という、自分から離れた情報ではなく、今、まさに夢の状態を達成しているかのような自我になることが可能なのです!
それはまさに現状を超えた位置に夢を設定し、その臨場感が現状よりも高くなった時、その夢は実現されます。
実現されるというか、それが自分そのものになってしまうといった言い方の方がわかりやすいでしょう。
仏教で言えば梵我一如といったところでしょうか。
今までのすべての自分の過去を許し、この世の一切のあらわいを体感し、この世のすべての情報を圧倒的な体感で受け入れることができれば、あなたは誰よりも光輝くでしょう。
そう、この言葉は大人気アニメ、新世紀エヴァンゲリオンの主題歌の歌詞の一部です。
残酷な天使のテーゼ (原罪を犯した罪深きもの(人間は神に背く行為をして神から分離した
窓辺からやがて飛び立つ (自分の現状に違和感を感じ、あるとき現状を超えようと決意する
ほとばしる熱いパトスで思い出を受け入れるなら (過去の一切の自分が犯してきた罪を許し、その過去をすべて受け入れ、圧倒的な性エネルギーをクラウンチャクラまで昇華したなら
この空を抱いて輝く (空を体感し、宇宙と一体化したのなら圧倒的な体感を伴って自分の役割がはっきりと理解できるだろう
少年よ神話になれ (若者よ、現代の常識を疑え、論理を極め、それを超えろ!そして神の一部となれ
空とは、超有であり、超無のことです。
この訳は私の超訳ですので、まじめに受け取らないようにしてください。
あなたも、夢を達成できるよう、祈っています。
私がよくゲームしているアプリは、PONOS社のMr.OOPS!というゲームです。
このゲームはスピード系ゲームです。
スピード系というのは、格闘ゲームなどを含めたリアルタイムの時間軸も含めた操作が可能なゲームの種類のことです。
スピード系に該当するゲームは、大乱闘スマッシュシリーズ、カービイのエアライド、マリオカートなどです。
任天堂のゲームが別に好きなわけではなく、例として出しました。
これらのゲームを最速でクリアするためには、あるコツがあります。
それは、自分体感速度を上げること。
自分の体感速度を日ごろから上げていると、日常での他人との会話やゲームの進み具合などがまるでスローモーションになったかのようにスローで見えることがあります。
これは決して誇張ではなく、単純に自分の体感速度が高まったからです。
この体感速度を上げる方法が、今挑戦しているゲームの最速よりも少し先を予想しながら行動するという方法が有効です。
これはどういうことかというと、大乱闘を例に出して考えてみることにしましょう。
大乱闘で勝つためのコツは、”先読み能力”です。
いかに相手より先読みできるか。
常に変わる体勢から、相手の動きを予想し、フェイントを入れながら相手に攻撃を与えてゆくという作業が必要不可欠です。
相手よりも体感速度が速ければ、勝てる確率は高まります。
体感速度を上げる具体的な方法とは、まず、そのゲーム画面に自分の五感をフルに使ってそのキャラと一体化します。
その操っている主人公そのものになっているような感覚です。
その次にその主人公が動いている速さよりも早く頭の中でイメージでその主人公を動かします。
イメージで動かしていると、実際にアクションをしなくても、頭の中でキャラクターが動かせてしまうのです。
その状態を維持しながら、そのキャラクターを操作する際に、そのキャラそのものの関係性をなるべく早く動かします。
アイテムを使うのならアイテムと同時に、つまり、キャラ以外の現象を同時に加速化していくわけです。
このようにして体感速度を上げ、キャラとシンクロしていきます。
これを実社会に生かせる方法があります。
それは、他人の話を聞く際、理解力を早めたり、リーダーとしての支持をすばやくするときなどの、人を動かす際に使えます。
ポイントは、自分そのものを早く動かすようにイメージする。
次に、それをとりまく環境と自分との関係を、リアルにイメージし、早く動かす。
これをやると、1を聞いて10を知るといったことや、生産性も上がり、ゲームをしながら自分の夢を実現できるといった、一石二鳥の方法でゲームを楽しむことができます。
ぜひ日常に応用してみてください。
このゲームはスピード系ゲームです。
スピード系というのは、格闘ゲームなどを含めたリアルタイムの時間軸も含めた操作が可能なゲームの種類のことです。
スピード系に該当するゲームは、大乱闘スマッシュシリーズ、カービイのエアライド、マリオカートなどです。
任天堂のゲームが別に好きなわけではなく、例として出しました。
これらのゲームを最速でクリアするためには、あるコツがあります。
それは、自分体感速度を上げること。
自分の体感速度を日ごろから上げていると、日常での他人との会話やゲームの進み具合などがまるでスローモーションになったかのようにスローで見えることがあります。
これは決して誇張ではなく、単純に自分の体感速度が高まったからです。
この体感速度を上げる方法が、今挑戦しているゲームの最速よりも少し先を予想しながら行動するという方法が有効です。
これはどういうことかというと、大乱闘を例に出して考えてみることにしましょう。
大乱闘で勝つためのコツは、”先読み能力”です。
いかに相手より先読みできるか。
常に変わる体勢から、相手の動きを予想し、フェイントを入れながら相手に攻撃を与えてゆくという作業が必要不可欠です。
相手よりも体感速度が速ければ、勝てる確率は高まります。
体感速度を上げる具体的な方法とは、まず、そのゲーム画面に自分の五感をフルに使ってそのキャラと一体化します。
その操っている主人公そのものになっているような感覚です。
その次にその主人公が動いている速さよりも早く頭の中でイメージでその主人公を動かします。
イメージで動かしていると、実際にアクションをしなくても、頭の中でキャラクターが動かせてしまうのです。
その状態を維持しながら、そのキャラクターを操作する際に、そのキャラそのものの関係性をなるべく早く動かします。
アイテムを使うのならアイテムと同時に、つまり、キャラ以外の現象を同時に加速化していくわけです。
このようにして体感速度を上げ、キャラとシンクロしていきます。
これを実社会に生かせる方法があります。
それは、他人の話を聞く際、理解力を早めたり、リーダーとしての支持をすばやくするときなどの、人を動かす際に使えます。
ポイントは、自分そのものを早く動かすようにイメージする。
次に、それをとりまく環境と自分との関係を、リアルにイメージし、早く動かす。
これをやると、1を聞いて10を知るといったことや、生産性も上がり、ゲームをしながら自分の夢を実現できるといった、一石二鳥の方法でゲームを楽しむことができます。
ぜひ日常に応用してみてください。
ビジネスをやる上で文章を書くということは必須です。
情報商材やHPの記事やメルマガを書く際のライティング技術というものはとても重要です。
美しい文章を書くということは、なかなか素人がやっても難しいかもしれません。
しかし、私が持っているこの理論を応用すれば美しく、わかりやすい文章というものが書けるヒントになるかと思います。
ビジネスをやっているかたはぜひ参考にしてみてください。
情報には階層性があります。
例えば、チワワで言えば、チワワとブルドッグの上位概念は”犬”です。
また、犬とネコの上位概念は動物やペットといったところでしょうか。
つまり、わかりやすく書くとチワワ<犬<動物<生物 となるでしょう。
チワワよりも犬の方が情報量は多いですが、臨場感(リアリティー)は下がります。
また、犬よりも動物の方が臨場感は下がりますが、潜在的な情報量は多いです。
このように、概念の階層を駆け上がっていくとリアリティが下がり、情報量が高まるという、情報とRの反比例な関係があることに気が付くでしょう。
これを利用すれば、自分が強調したい場面は次元を下げ、平易な文章を心がけたいのならば、読み手のレベルに合わせて情報の階層をイメージしながら書いていくときれいな文章が書けます。
ぜひ参考にしてみてください。
情報商材やHPの記事やメルマガを書く際のライティング技術というものはとても重要です。
美しい文章を書くということは、なかなか素人がやっても難しいかもしれません。
しかし、私が持っているこの理論を応用すれば美しく、わかりやすい文章というものが書けるヒントになるかと思います。
ビジネスをやっているかたはぜひ参考にしてみてください。
情報には階層性があります。
例えば、チワワで言えば、チワワとブルドッグの上位概念は”犬”です。
また、犬とネコの上位概念は動物やペットといったところでしょうか。
つまり、わかりやすく書くとチワワ<犬<動物<生物 となるでしょう。
チワワよりも犬の方が情報量は多いですが、臨場感(リアリティー)は下がります。
また、犬よりも動物の方が臨場感は下がりますが、潜在的な情報量は多いです。
このように、概念の階層を駆け上がっていくとリアリティが下がり、情報量が高まるという、情報とRの反比例な関係があることに気が付くでしょう。
これを利用すれば、自分が強調したい場面は次元を下げ、平易な文章を心がけたいのならば、読み手のレベルに合わせて情報の階層をイメージしながら書いていくときれいな文章が書けます。
ぜひ参考にしてみてください。
最近やる気がでない、落ち込んでいる、私に生きる価値がない。
現代ではそんな風に思っている若者が多いと感じます。
この、やる気、価値と自分の好きなことに関する関係はどのようになっているのか。
人間には当たり前ですが、好きなことがあります。
スポーツが好きだったり、アニメが好きだったり、音楽が好きだったり、いろいろ考えられるでしょう。
人間が好きになるメカニズムを知れば、あなたは自分のやりたいことを実現し、自分の夢に向かって奔走するようになることができるでしょう。
まず、やる気とはなんでしょうか。
やる気がないという言葉は、実際には自分のやりたくないことをやっていることに使われる言葉です。
やりたくないことというと、まさに他人の人生を生きているからこそ出てくる言葉といっていいでしょう。
他人の人生を生きているとはどういうことでしょうか。
人間は本来他人から物事を教わるものです。
赤ちゃんで生まれてから死ぬまで、人間は外界の情報とつながっています。
自我は関係性でできてるので、他人と自分は切り離せない関係にあります。
その中で自分が生きるために必要な知識というものは、知識がある人からない人へ受け継がれ、自然に社会で学ぶことです。
では、その中の社会という枠組みの中でやる気がないということはどういうことでしょうか。
会社はありとあらゆる手を使って社員をつくろうと、広告を張り、会社がまるであなたに居心地の良いように仕向けながらサイトの求人欄に自社のアピールポイントを書きます。
「私たちの会社はOOが魅力的です!ぜひ入社を!」
といった感じです。
この手の広告はそもそもその会社が魅力がないということを公に言いふらしていることと同じことです。
会社の広告と魅力については別の記事で書きましたので、そこを参考にしてみてください。
さて、その会社がアピールする魅力に引かれ、意気揚々と入社式を向かえ、新入生と戯れ、これからすばらしく楽しい社会人生活を営もうと思っている、そんな方たちはもう入社しているわけですが、その会社に慣れたとたん、
私はこんな仕事のために入社したんじゃない!俺はもっとすごいことをしたいんだ!
といった、人間には当たり前の”自由”に対する欲求が芽生えてきます。
毎日お茶汲みとコピーだけで単調な仕事ばかりやらされ、自分のやりたいことなどやらせてもらえない。
やらせてもらえたとしても、それは、会社の契約の範囲内という条件付での仕事です。
つまり、会社には人間の自由などということが存在しないのがわかるでしょう。
人間は本来高いIQを持つ集団です。
脳の前頭前野を活発にさせてクリエイティビティーを喚起しなければ、脳をほんとうに使いこなすことはできません。
使いこなせなくなった脳は古くなり、入社して3年経てば入社時に神童と呼ばれた人もただの人になってしまうのです。
そんな自由のない会社にいて楽しいはずがありません。
楽しいと思っているのは、会社側から働かされているという事実を受け入れたくないという感情があるからです。
つまり、やる気がでない状態というのは、他人から働かされているという状態に他なりません。
しかし、実際には会社にいてすごく満足しているといった方もいるでしょう。
しかし、そんな人はこのブログの記事など読みません。
その人は自分の役割を徹底的に確信しており、自分の価値判断に迷うことがないからです。
自分の役割を徹底的に確信している人は何をやっても最強です。
なぜなら、その場その場の状況で自分が何をやるべきかが具体的にはっきりとわかるからです。
やる気がないという方は、1度自分のやっている作業や思っていることに意識を向け、それがほんとうに自分で選んだ価値観なのかを再確認するといったことが必要になるでしょう。
さて、その”やる気”と”好き”についてです。
好きとは、一般的にいえば、偏っている情報です。
偏っているとは、自分の視点でしか見ていない情報です。
ある特定の食べ物が好きといった例で言えば、食べ物それ自体は、過去に自分がなんらかのプラスの情動を喚起した状況で感じたものです。
味そのもの、においそのもの、など、自分だけが好きといったタイプの情報です。
しかし、私が今回使う”好き”はそれではありません。
本来の”好き”は、感動の表象化です。
表象化というとまた難解かもしれませんが、なんらかの情報が表現されたという意味です。
感動とは五感を伴った体感を意味します。
風景や、野花をみてきれいだなと感じる、そのものの感覚が”感動”です。
その感動が強すぎて、言葉として表れてしまった。
それがまさに”きれいだな””美しい”といった言語活動です。
その体感があってこそ人間はただの点の集まりにしかない情景に対して”感動”することができるわけです。
その例を出した後、先ほどのやる気がでないとか、価値がないといった感覚はどこから生まれてくるのでしょうか。
それはまさに、あなたが普段感動していないからです!
ブルーワーカーの人は1日中工場にこもりっぱなしだったり、エンジニアの方やプログラマーの方も自宅や会社の空気がよどんだ環境にずっといるわけです。
感動するためには宇宙の情報にアクセスしなければいけません。
それは、いかに自然を体感できるかというところにかかっています。
あなたが自分を好きになれない状況は、自分の過去を悔やむ行為になります。
悔やむ過去は、一生、あなたの足かせとなり、未来の具体的なビジョンを描くには程遠い自我になります。
なので、今すぐに感動するために自然と接し、たくさん自分の感情を味わってください。
そうすれば、あなたの過去は少し癒され、過去が整理され、未来が見え、今を生きることが可能となるのです。
自分の感覚を大切にすることをやめないでください。
あなたは、宇宙で必要でも、必要でないわけでもありません。
ただただ、情報と関係性を持っているだけです。
あなたは、誰にも自分の過去や未来を犯されるということができません。
あなたが嫌な感じを受けるということは、すべて他人に催眠術をかけられているに過ぎないのです。
本来のあなたは圧倒的な価値があり、人間としての尊厳があり、生きる価値がある生命体です。
自分の一生を他人に支配されて終わるのではなく、一生、今を生きるために修行につとめてみてはいかがでしょうか。
現代ではそんな風に思っている若者が多いと感じます。
この、やる気、価値と自分の好きなことに関する関係はどのようになっているのか。
人間には当たり前ですが、好きなことがあります。
スポーツが好きだったり、アニメが好きだったり、音楽が好きだったり、いろいろ考えられるでしょう。
人間が好きになるメカニズムを知れば、あなたは自分のやりたいことを実現し、自分の夢に向かって奔走するようになることができるでしょう。
まず、やる気とはなんでしょうか。
やる気がないという言葉は、実際には自分のやりたくないことをやっていることに使われる言葉です。
やりたくないことというと、まさに他人の人生を生きているからこそ出てくる言葉といっていいでしょう。
他人の人生を生きているとはどういうことでしょうか。
人間は本来他人から物事を教わるものです。
赤ちゃんで生まれてから死ぬまで、人間は外界の情報とつながっています。
自我は関係性でできてるので、他人と自分は切り離せない関係にあります。
その中で自分が生きるために必要な知識というものは、知識がある人からない人へ受け継がれ、自然に社会で学ぶことです。
では、その中の社会という枠組みの中でやる気がないということはどういうことでしょうか。
会社はありとあらゆる手を使って社員をつくろうと、広告を張り、会社がまるであなたに居心地の良いように仕向けながらサイトの求人欄に自社のアピールポイントを書きます。
「私たちの会社はOOが魅力的です!ぜひ入社を!」
といった感じです。
この手の広告はそもそもその会社が魅力がないということを公に言いふらしていることと同じことです。
会社の広告と魅力については別の記事で書きましたので、そこを参考にしてみてください。
さて、その会社がアピールする魅力に引かれ、意気揚々と入社式を向かえ、新入生と戯れ、これからすばらしく楽しい社会人生活を営もうと思っている、そんな方たちはもう入社しているわけですが、その会社に慣れたとたん、
私はこんな仕事のために入社したんじゃない!俺はもっとすごいことをしたいんだ!
といった、人間には当たり前の”自由”に対する欲求が芽生えてきます。
毎日お茶汲みとコピーだけで単調な仕事ばかりやらされ、自分のやりたいことなどやらせてもらえない。
やらせてもらえたとしても、それは、会社の契約の範囲内という条件付での仕事です。
つまり、会社には人間の自由などということが存在しないのがわかるでしょう。
人間は本来高いIQを持つ集団です。
脳の前頭前野を活発にさせてクリエイティビティーを喚起しなければ、脳をほんとうに使いこなすことはできません。
使いこなせなくなった脳は古くなり、入社して3年経てば入社時に神童と呼ばれた人もただの人になってしまうのです。
そんな自由のない会社にいて楽しいはずがありません。
楽しいと思っているのは、会社側から働かされているという事実を受け入れたくないという感情があるからです。
つまり、やる気がでない状態というのは、他人から働かされているという状態に他なりません。
しかし、実際には会社にいてすごく満足しているといった方もいるでしょう。
しかし、そんな人はこのブログの記事など読みません。
その人は自分の役割を徹底的に確信しており、自分の価値判断に迷うことがないからです。
自分の役割を徹底的に確信している人は何をやっても最強です。
なぜなら、その場その場の状況で自分が何をやるべきかが具体的にはっきりとわかるからです。
やる気がないという方は、1度自分のやっている作業や思っていることに意識を向け、それがほんとうに自分で選んだ価値観なのかを再確認するといったことが必要になるでしょう。
さて、その”やる気”と”好き”についてです。
好きとは、一般的にいえば、偏っている情報です。
偏っているとは、自分の視点でしか見ていない情報です。
ある特定の食べ物が好きといった例で言えば、食べ物それ自体は、過去に自分がなんらかのプラスの情動を喚起した状況で感じたものです。
味そのもの、においそのもの、など、自分だけが好きといったタイプの情報です。
しかし、私が今回使う”好き”はそれではありません。
本来の”好き”は、感動の表象化です。
表象化というとまた難解かもしれませんが、なんらかの情報が表現されたという意味です。
感動とは五感を伴った体感を意味します。
風景や、野花をみてきれいだなと感じる、そのものの感覚が”感動”です。
その感動が強すぎて、言葉として表れてしまった。
それがまさに”きれいだな””美しい”といった言語活動です。
その体感があってこそ人間はただの点の集まりにしかない情景に対して”感動”することができるわけです。
その例を出した後、先ほどのやる気がでないとか、価値がないといった感覚はどこから生まれてくるのでしょうか。
それはまさに、あなたが普段感動していないからです!
ブルーワーカーの人は1日中工場にこもりっぱなしだったり、エンジニアの方やプログラマーの方も自宅や会社の空気がよどんだ環境にずっといるわけです。
感動するためには宇宙の情報にアクセスしなければいけません。
それは、いかに自然を体感できるかというところにかかっています。
あなたが自分を好きになれない状況は、自分の過去を悔やむ行為になります。
悔やむ過去は、一生、あなたの足かせとなり、未来の具体的なビジョンを描くには程遠い自我になります。
なので、今すぐに感動するために自然と接し、たくさん自分の感情を味わってください。
そうすれば、あなたの過去は少し癒され、過去が整理され、未来が見え、今を生きることが可能となるのです。
自分の感覚を大切にすることをやめないでください。
あなたは、宇宙で必要でも、必要でないわけでもありません。
ただただ、情報と関係性を持っているだけです。
あなたは、誰にも自分の過去や未来を犯されるということができません。
あなたが嫌な感じを受けるということは、すべて他人に催眠術をかけられているに過ぎないのです。
本来のあなたは圧倒的な価値があり、人間としての尊厳があり、生きる価値がある生命体です。
自分の一生を他人に支配されて終わるのではなく、一生、今を生きるために修行につとめてみてはいかがでしょうか。
悟った人とか言う人がこの世にいるらしいです。
悟った人という人の定義はよくわからないのでおいておいて、なぜ悟った人が自分で悟ったといわないのかということについて、論理的に考えてみようと思います。
それにはまず悟りについて定義しなければいけませんが、私は悟りの定義はかなり難解だと思います。
悟りとは、圧倒的な体感だからです。
ここで例を出して悟りついて少し考えてみることにしましょう。
悟りとは、指でさせないことだという意味合いが持たれるかと思います。
例えば、あなたの目の前のテーブルにりんごかあるとしましょう。
言語活動によって、私たちはその物体を”りんご”と認識することができます。
その理由は、言語によって、りんごとそれ以外とを分けているからです。
人間は不完全な情報処理能力を持っています。
なので、その不完全な情報体は絶対価値のある”神”を信仰するということはこのブログの以前の記事に書きました。
その不完全な情報が”欲”を欲することは当然の理です。
先ほども書いたとおり、神への信仰心の表れというものがすべての人間の情報処理の表象化であるといっていいと思います。
我々が関係性なくして、社会性なくして生きることができないという理論、人肌を感じなければさびしくて死んでしまうといった感情論も含め、私たちは普段、膨大な情報処理をしています。
その情報処理を簡単な言葉で置き換えると、”関係している”と言い換えることができます。
関係とはすなわち、情報とのつながりであり、欲であり、神の一部である情報へのアクセスと同等の意味となるのです。
意味が理解できるでしょうか。
大半の方はこんな風に突然こんなことを言って理解できる人は少ないでしょう。
さて、肝心の悟りについて理論的に検証していきます。
悟りとは、圧倒的な体感であるといいましたが、体感とはどういうことをさす言葉でしょうか。
先ほどのりんごの例から引用すれば、我々が普段日常生活で生きるために必要な脳の機能は言語活動です。
ここでは、非言語活動も言語活動の1部として含めることとします。
非言語活動とは、ジェスチャーであったり、視線や気の感覚といった感覚情報通信のことを指します。
体感とは、指をさせないもの、つまり、切り離せない情報を圧倒的臨場感で体感したときと同じ状態を指すという意味です。
その情報とは、愛や慈悲や正義などといった、言語で切り取ることのできない情報そのものを言います。
愛を定義しろ といわれても普通無理です。
一方的な見返りを求めない行為が愛だ という意見もあるでしょうが、そういう風に肯定できる情報があるということは、否定もできる情報が生まれてしまうことになります。
つまり、愛ではない情報が定義可能になってしまうのです。
愛はすべての次元にわたって存在している概念です。
その理由をここで詳しく書くには、かなりの労力を必要としますので、今回は書きません。
愛だけでなく慈悲や正義も同様です。
つまり、圧倒的な体感とは、言語で切り取れない情報、言語を超えている次元にある情報ということです。
その情報を、五感で圧倒的に体感するには”感動”が一番の肥やしになります。
”感動”そのものは宇宙の全次元の情報にアクセスする行為であるからです。
よく、花がきれいだとか、風景がきれいだといった表現がなされますが、それらはすべて宇宙の一部だからです。
それは自然そのものであり、f/1揺らぎであり、フラクタルであり、情報の階層性そのものです。
タンポポをみてかわいいなあとか、風景を見て感動できない人は、私から見れば死んでいるのと同じです。
他人の人生を生き、自分の存在が何であるかということも理解せず、ただただ過ぎてゆく毎日をひたすら繰り返し、過去に束縛され、死んでゆく。
そんな人生は人間が歩む人生ではありません。
奴隷の人生です。
今すぐあなたの目にかかっている色眼鏡をはずし、自分の”目”で世界を見渡してみてください。
きっとそこには生々しいほどのリアルな情報と、絶対的な真実が宇宙に映し出されていることでしょう。
悟ることは簡単ではありません。
しかも、体感そのものが悟りなので、具体的な道しるべを示すことができません。
なので、悟ろうとするにはとてつもない労力がいるでしょう。
しかも、悟ろうと思っても悟れません。
なぜならばリラックスできないからです。
リラックスできていない身体というものは固まっていて、正しく情報が処理されず身体のどこかで滞ってしまうからです。
アルキメデスはお風呂に入ってリラックスしている最中浮力の原理であるアルキメデスの法則を発見しました。
あなたがリラックスできる場所はどこでしょうか。
その場所は本当にリラックスできる場所ですか。
その精神状態は本当に”自分”ですか。
毎日修行しようと思っていなければ、自然からなにかほんの少しでもいいから読み取る姿勢を貫いてください。
そうすればあなたは悟りへの第一歩を踏み出せます。
あなたの本当の自分は今どこにいるのでしょう。
悟った人という人の定義はよくわからないのでおいておいて、なぜ悟った人が自分で悟ったといわないのかということについて、論理的に考えてみようと思います。
それにはまず悟りについて定義しなければいけませんが、私は悟りの定義はかなり難解だと思います。
悟りとは、圧倒的な体感だからです。
ここで例を出して悟りついて少し考えてみることにしましょう。
悟りとは、指でさせないことだという意味合いが持たれるかと思います。
例えば、あなたの目の前のテーブルにりんごかあるとしましょう。
言語活動によって、私たちはその物体を”りんご”と認識することができます。
その理由は、言語によって、りんごとそれ以外とを分けているからです。
人間は不完全な情報処理能力を持っています。
なので、その不完全な情報体は絶対価値のある”神”を信仰するということはこのブログの以前の記事に書きました。
その不完全な情報が”欲”を欲することは当然の理です。
先ほども書いたとおり、神への信仰心の表れというものがすべての人間の情報処理の表象化であるといっていいと思います。
我々が関係性なくして、社会性なくして生きることができないという理論、人肌を感じなければさびしくて死んでしまうといった感情論も含め、私たちは普段、膨大な情報処理をしています。
その情報処理を簡単な言葉で置き換えると、”関係している”と言い換えることができます。
関係とはすなわち、情報とのつながりであり、欲であり、神の一部である情報へのアクセスと同等の意味となるのです。
意味が理解できるでしょうか。
大半の方はこんな風に突然こんなことを言って理解できる人は少ないでしょう。
さて、肝心の悟りについて理論的に検証していきます。
悟りとは、圧倒的な体感であるといいましたが、体感とはどういうことをさす言葉でしょうか。
先ほどのりんごの例から引用すれば、我々が普段日常生活で生きるために必要な脳の機能は言語活動です。
ここでは、非言語活動も言語活動の1部として含めることとします。
非言語活動とは、ジェスチャーであったり、視線や気の感覚といった感覚情報通信のことを指します。
体感とは、指をさせないもの、つまり、切り離せない情報を圧倒的臨場感で体感したときと同じ状態を指すという意味です。
その情報とは、愛や慈悲や正義などといった、言語で切り取ることのできない情報そのものを言います。
愛を定義しろ といわれても普通無理です。
一方的な見返りを求めない行為が愛だ という意見もあるでしょうが、そういう風に肯定できる情報があるということは、否定もできる情報が生まれてしまうことになります。
つまり、愛ではない情報が定義可能になってしまうのです。
愛はすべての次元にわたって存在している概念です。
その理由をここで詳しく書くには、かなりの労力を必要としますので、今回は書きません。
愛だけでなく慈悲や正義も同様です。
つまり、圧倒的な体感とは、言語で切り取れない情報、言語を超えている次元にある情報ということです。
その情報を、五感で圧倒的に体感するには”感動”が一番の肥やしになります。
”感動”そのものは宇宙の全次元の情報にアクセスする行為であるからです。
よく、花がきれいだとか、風景がきれいだといった表現がなされますが、それらはすべて宇宙の一部だからです。
それは自然そのものであり、f/1揺らぎであり、フラクタルであり、情報の階層性そのものです。
タンポポをみてかわいいなあとか、風景を見て感動できない人は、私から見れば死んでいるのと同じです。
他人の人生を生き、自分の存在が何であるかということも理解せず、ただただ過ぎてゆく毎日をひたすら繰り返し、過去に束縛され、死んでゆく。
そんな人生は人間が歩む人生ではありません。
奴隷の人生です。
今すぐあなたの目にかかっている色眼鏡をはずし、自分の”目”で世界を見渡してみてください。
きっとそこには生々しいほどのリアルな情報と、絶対的な真実が宇宙に映し出されていることでしょう。
悟ることは簡単ではありません。
しかも、体感そのものが悟りなので、具体的な道しるべを示すことができません。
なので、悟ろうとするにはとてつもない労力がいるでしょう。
しかも、悟ろうと思っても悟れません。
なぜならばリラックスできないからです。
リラックスできていない身体というものは固まっていて、正しく情報が処理されず身体のどこかで滞ってしまうからです。
アルキメデスはお風呂に入ってリラックスしている最中浮力の原理であるアルキメデスの法則を発見しました。
あなたがリラックスできる場所はどこでしょうか。
その場所は本当にリラックスできる場所ですか。
その精神状態は本当に”自分”ですか。
毎日修行しようと思っていなければ、自然からなにかほんの少しでもいいから読み取る姿勢を貫いてください。
そうすればあなたは悟りへの第一歩を踏み出せます。
あなたの本当の自分は今どこにいるのでしょう。
