「死んだとき、本能は目覚めた」ってかんじですかね。
よく思うことがあって、人が死ぬときっていうのは最初から決まってるんじゃないかって。
生まれたときから組み込まれてると思うんです。
こんなとこにホクロあったっけ?って思うでしょ?
ホクロは何時何分に出るっていうのが体内に組み込まれてるんだって。
それと同じようなかんじ。
もちろん、それがいつなのかは誰もわからないから「死ぬの怖いな」って思うわけで。
その設定っていうのも人それぞれ違うと思うんですよ。
それが運命ってことなのかな。
病気で早く死んじゃう人もいれば、ずーっと長生きな人もいる。
早く死んじゃうからって不幸なわけでは、決してないと思うし、長生きだからって幸せなわけじゃないと思うんです。
人それぞれ、その「値」がある気がする。
例えば、アルジェリアとかグアムで死んじゃった人も、運が悪かったっていうよりも、最初から決まってたんじゃないかって思うんです。
そうなるべくして、なってしまった。
その日その時間に、その土地に行くことは運命だったし、事件に巻き込まれてしまう事も運命だったような。
でも、その人はまだ何かの途中だったかもしれないし、これからの希望とかもたくさんあったと思うんだけど、死刑になりたいからって殺人するような人もいるように、世の中はいつだって平等ではないんです。
それは憎い。
外国に行くことを怖がる人もいるけど、日本にいたって犯罪は同じように起きてるし、地震だって起きてるし、どこにいたってリスクは一緒だと思うけどな。
だからもし、海外で事故に巻き込まれてしまったとしても、それはそれで運命だったんだなって思う。
どこにいたって、何してたって、安全なことはないんだから。
もうすぐ震災から2年経つけど、「あの日何してた?」って聞くと、みんな鮮明に覚えてる。
たまたま自分の住んでる土地に被害はなかったけど、もし被害に遭ってたらそれは運命なんですよ。
前にニュースで見たんだけど、学校で震災に遭った場合、児童をすぐに保護者に引き渡すのではなく、安全が確認できてからでないと引き渡さないって話。
前の震災で、迎えに来た保護者にすぐに引き渡してしまって、結果、津波にのまれてしまったっていうのが教訓になってるらしい。
はたして、その津波にのまれちゃった子の最期が不幸だったかというと、そうじゃないと思うんだよね。
ずっと不安な気持ちで迎えに来てくれるのを待つより、お父さんお母さんと最期を迎えられたのは良かったと思う。
もしかしたら、安全だと思ってた場所が安全じゃないかもしれない。
家族の中でその子だけが生き残ったら、その子の人生はどうなってたんだろう。
きっとすごく不安な気持ちで過ごす日がたくさんあるだろうな。
それはほんとに幸せって言えるのかな。
死ぬことは、そんなに怖いことではないと思うけど、心は満たされていたいな。
いつ来るかわからない日を怖がるよりも、日々を楽しんでいかなきゃいけないですね!