ステージで踊る姿
教室を始めてからは生徒さんがどんどん増えて行きました。
NPO○○新体操クラブの選手コースのバレエコーチとしても教えてていました。
その中でバレエの道に変わりたいと言う生徒さんもいて、その隣の市でも教室を
開くことになりました。その教室を開いてからは他の大きなバレエ団から移って
来た凄くレベルの高い生徒さんが何人も来て、とても教えがいがあったようで
す。高校生の生徒さんたちは幼いころからバレエに関する礼儀作法もトレーニン
グされていて、娘をとても慕ってくれました。
娘自体大きなバレエ団のプリマであったわけでないし、コネクションもありません
でした。ただバレエダンサーの資質はあり、東京でレッスンを受けるときも手ごたえ
上々だったようです。 「生徒のレベルが高くても、生徒より自分が上だと思えない
なら教えられないよ。」とはっきり言っていました。
市の講座で始まったクラスでは大人の初心者向けクラスがほとんどで、年齢が娘
よりかなり上の生徒さんばかりだし、若い娘に敬意が無い人も多く、「早く30才に
なりたい」と言っていたのを思い出します。
発表会をする時は、生徒さんの配役決め、振付、衣装、会場予約まで一人で手配
しなければならず、本当に大変だったと思います。
一度、臨時レッスンの為にの借りた体育館で、夜自分自身のトレーニングをし一人
でしていましたが、床が滑りやすく転倒して足を痛めてしまった事がありました。
その時、たった一人で痛みをこらえて片足で運転して帰り、次の日に病院に行った
と連絡がありました。私は心配で病院にとんで行きましたが「靭帯損傷」で3ヶ月間
ギブスをはめながら指導を休まず行いました。私に自分から助けてほしいと言った
事はありませんでした。
半年後の発表会は自分自身も無事踊り切りました。
それまでも市民文化祭など、ちょっとしたステージには自分や生徒さんもちょくち
ょく参加しましたが、自分の持つ教室の発表会のは特に大変でした。
同じ市内に住む一クラスだけの教室を持っていた30代の先生のクラスにも出て
いただき発表会をする事になりました。
私はそれまで娘の先生ぶりをあまり知りませんでしたが、前日会場でのゲネプロ
のビデオを撮って欲しいと言われて一日付き合いましたが驚きました。客席の中
央に座り、マイクを持って一人一人の生徒に位置決めなどを支持するのです。
まだ20代半ば前にして、凄い貫禄とオーラがあったのです。
きびきびと支持し、物事を決めていく姿はわが娘とは思えませんでした。
第一回の発表会では、娘も二作品を踊り、とても楽しいものになりました。
(親バカ丸出しでごめんなさい)
続く
