神頼みができない。 | ぴぽたぬ記

ぴぽたぬ記

かわいいものが大好きです♡
ちいかわ、サンリオ、アイスが好きです♡+.。
絵を描いてラインスタンプ作ってますが、下手です。
でも、ブログの最初の頃に比べると少し上達した気がします。
ブログは、ちょっと様子おかしいことが多いです。

 

このお正月、人生で初めて、1月1日になってすぐに初詣に行った。

 

 

私は、とにかく家から出ない、ということを人生において大事にしているので、

>そんなもんを大事にしないで

 

無理やり外に連れ出されない限りは外に出ない。

 

 

しかし、今年のお正月は、なんだか当然のように初詣に行く流れになっていたので、行ってみた。

 

 

***

 

ここで、私には長年の悩みがある。

 

それは、手を合わせている時、頭の中をどうすればよいのか、ということだ。

 

 

何言ってるんだこいつ、と思われそうだ。

 

 

 

 

自分でも思う。

 

でも、本当に長いこと、このことで悩んでいる。

>以下、バカらしい悩みが続きます

 

***

 

 

神社やお寺で、賽銭箱にお賽銭を入れた後、手を叩くとか叩かないとか、礼を何回するとかタイミングとか、

様々違いはあるが、

 

最終的に、どこかのタイミングでは手を合わせることになっていると思う。

 

 

私は、

 

この時の頭の中は、

どうなっているのが正解なのだろうか、ということを考えすぎて、

 

 

結果的に、

いかに頭の中を無にできるか、に一生懸命になってしまうのだ。

 

 

 

お願い事をするのは、一見客の分際で厚かましいと思ってしまうし、

 

自己紹介なんかしても、お前誰、と思われると思ってしまうし、

 

お礼を伝えても、何に?と思われそうだし、

 

 

 

世界平和、とか祈ってみても、

「何言ってんの、お前。普段そんなキャラじゃないでしょ。」とバレそうだし。

>いずれも神様側の回答を想定

 

 

 

 

結果的に、手を合わせた瞬間、頭の中は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜凪〜

 

 

となるのだ。

>どういうこと

 

 

***

 

もしかしたら、神頼みにも正しいお作法的なのがあるのかもしれない。

 

 

ただ、私のような煩悩のかたまりが、都合いい時だけ神頼みしていても、神サイドも困ると思う。

 

だからやっぱり、神頼みはできないなぁ・・・。

 

 

と、このように悩んでいること自体が、

 

 

頼んだら何とかしてもらえる、という甘い考えの持ち主であることを物語っているのだ。