このお正月、人生で初めて、1月1日になってすぐに初詣に行った。
私は、とにかく家から出ない、ということを人生において大事にしているので、
>そんなもんを大事にしないで
無理やり外に連れ出されない限りは外に出ない。
しかし、今年のお正月は、なんだか当然のように初詣に行く流れになっていたので、行ってみた。
***
ここで、私には長年の悩みがある。
それは、手を合わせている時、頭の中をどうすればよいのか、ということだ。
何言ってるんだこいつ、と思われそうだ。
自分でも思う。
でも、本当に長いこと、このことで悩んでいる。
>以下、バカらしい悩みが続きます
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神社やお寺で、賽銭箱にお賽銭を入れた後、手を叩くとか叩かないとか、礼を何回するとかタイミングとか、
様々違いはあるが、
最終的に、どこかのタイミングでは手を合わせることになっていると思う。
私は、
この時の頭の中は、
どうなっているのが正解なのだろうか、ということを考えすぎて、
結果的に、
いかに頭の中を無にできるか、に一生懸命になってしまうのだ。
お願い事をするのは、一見客の分際で厚かましいと思ってしまうし、
自己紹介なんかしても、お前誰、と思われると思ってしまうし、
お礼を伝えても、何に?と思われそうだし、
世界平和、とか祈ってみても、
「何言ってんの、お前。普段そんなキャラじゃないでしょ。」とバレそうだし。
>いずれも神様側の回答を想定
結果的に、手を合わせた瞬間、頭の中は、
〜凪〜
となるのだ。
>どういうこと
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もしかしたら、神頼みにも正しいお作法的なのがあるのかもしれない。
ただ、私のような煩悩のかたまりが、都合いい時だけ神頼みしていても、神サイドも困ると思う。
だからやっぱり、神頼みはできないなぁ・・・。
と、このように悩んでいること自体が、
頼んだら何とかしてもらえる、という甘い考えの持ち主であることを物語っているのだ。