終戦記念日ですね
小さいころから、おじいちゃんとおばあちゃんから、
戦争の体験談を聞いて育ちました
空襲の中、おばあちゃんが
家族と離ればなれになって逃げ惑ったこと
元大学の建物が軍事拠点となっていたので、
はぐれたらそこで集合すると約束していて
なんとか家族と会えたこと
家も焼けてしまって、おばあちゃんのお父さんが
バラック小屋から始まり、がんばって家を再建したこと
おばあちゃんたち子どもたちは、田舎の親戚の家に疎開したこと
おじいちゃんはその頃大学の医学部で勉強中で
空襲の時には、教科書を抱えて逃げたこと
大空襲で背中に大やけどを負い、
川に飛び込んで九死に一生を得たこと
大学生ということで大学病院に入れてもらえたが
重症すぎて実家に送られることになり
そんな状態で、汽車で一日かけて帰ったこと
地元の病院に入院中、
空襲警報が鳴っても逃げられず、病室で
ひいおばあちゃん(おじいちゃんの母)と
『これで死んだら運命やね、仕方ないね』と
手をつないで静かに耐えていたこと
おじいちゃんは 卒業したら海軍医になり
潜水艦に乗務することになっていたこと
終戦があと1年遅ければ、おじいちゃんは
潜水艦に乗って出征していたこと
終戦の日、広場に集まって
天皇陛下の玉音放送を聞いて…
おじいちゃんは、本当に悔しかったこと
おじいちゃんが、大火傷からなんとか助かって、
無事 おばあちゃんと結婚できたこと
大伯父さんが、通訳として蒙古に行っていたこと
大伯父さんの家族が引き揚げてきた時
子どもたちが栄養失調でガリガリだったこと
別の大伯父さんは、海軍の船に乗務していたこと
大伯父さんは、運よく無事だったが、
多くの同僚が亡くなったこと
この時代を経験した人は、
何があっても、もう二度と
戦争をしてはいけない
と、いつも 言っています
こういう生々しい体験談を知った上で
自分たちの未来を選択することと
盲目的に選ぶのとでは
絶対的に 意味が違うと、わたしは思います
次の世代にも ずっと 語り継いで
いかなければいけないと思います
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