20日は歴史街道丹後100kmウルトラマラソンに参加してきました。

6月の隠岐の島でリタイアしてリベンジの場として選んだのが丹後。ちょうど一週間後には40歳になるので、やはりなんとしても30代のうちに1度100kmを制覇しておきたいと、ここに挑戦を決めました。

とはいえ、隠岐の島以降、練習は週2回きっちり行ってきていますが、最長距離が30km。毎週30を走るようにしたので、ある程度のスタミナはできていると思いますが、正直フルマラソンなら自信をもってといえますが、100kmの練習量としてはほめられたものではありません。ですが、そんなことも言ってられないので、参戦です。

丹後のウルトラは4時半にスタートなので、前日入りしなくてはいけないのですが、前日の19日は子供の運動会、ピアノ発表会、さらにスポーツクラブへの送迎となぜかいろいろあり、結局会場の網野駅についたのは夜の10時。4時半スタートですが、当日受付が3時~4時10分ということで、ナンバーカードを貼ったり、荷物預けをしたり、結構時間がないので、3時には会場入りしたい。ということになると10時から3時、しかも寝るだけに宿はもったいない、ということで、今回初の野宿を敢行しました。

野宿の場所は網野駅から直線にあるウルトラ出場者用の駐車場でしました。3時になると会場までの送迎バスがあるので、ここなら設営の邪魔にもならず、ある程度寝られて、寝過ごしもないだろうという考えでした。


この考えは別に間違ってはなかったのですが、次から次へ車が来るので、ライトや音が邪魔で熟睡はできませんでした。正直2時間ぐらい。うとうとしていたのが、1時間半ぐらいあったでしょうか。まあ、失敗と言えば失敗でした。


そして2時40分ぐらいに起きると、前日に買っておいた菓子パン2個と大福もち2個、そしてスポーツドリンクを飲み、ちょうど3時手前ぐらいのバスで、会場へ。


会場はまだ人が少なかったですが、そこで受付を済まして着替え、そしてスタート地点へ行くとスタート15分ぐらい前でゲストの増田明美さんがスタート前の挨拶。そして眠いとか言っているまもなくスタート。


最初の5kmから10kmにかけての道のりに達するまでは真っ暗な中での走行。隠岐の島のときは5時スタートで、すでに夜は明けていたので、初めてのナイトラン。海辺なので、波飛沫の音が響き渡る中を走るということで、いい感じではありました。


スタートしてから七竜峠へ向かう10kmはなかなかハードです。高低差は200m。ただこれは隠岐の島の坂よりも傾斜としても高さとしても厳しくなかったですし、何よりまだ10kmということでそれほど体力を消耗しませんでした。それに前回リタイアしているということもあって、前半も抑え気味でいっていたので、その点いくぶん余裕を残しての走りでした。


この七竜峠を越えたあたりから妙に腹部が痛く、便通が襲ってきました。11.2km地点のエイドでは治まっていたので、トイレはパスしましたが、16.6km地点のくみはまSANKAIKANではたまらずトイレへ。正直なところ、こんな量の・・・というぐらい出たため、先行きを考えると早めにいっておいて正解。しかしトイレに入るのにもやはり待ち時間があり、全体で5分ぐらいロス。ちなみにここのエイドではゲストの増田明美さんがスタンバイ。ランナーと記念写真を撮っていました。


その後、35km過ぎまでは久美浜湾をぐるりと回る比較的平坦なコースで、回り終えた35kmから一旦は越えた七竜峠を逆から上り下ります。正直、こののぼりはなかなかきつかったです。ただ、100kmを走るとなると、35kmの壁みたいなものはありませんね。ただ坂がつらい、一歩一歩進むぞ、といった気力の勝負です。


この峠を上り、下りてくると一気に漁港へ。ここでは朝食よろしく特製うどんを。ねぎも何もないうどんでしたが、とてもおいしく召し上がりました。前回43km地点で倒れたので、このエイドで44.6kmクリアということで、とりあえず前回の距離、そしてフルマラソンの距離をクリアしたので、わずかながら目標クリア。


そしてようやく56km地点のエイドに到着。こちらも前回は着ることがなかった着替えを。しかしそのときもも着替えるかどうか迷ったのですが、足のウラもそうですが、フルの距離を越えたぐらいから腰に痛みが出てきたのでその処置も含め、着替えをすることにしました。


とりあえずスタート地点で用意したパンツ以外の全てのものを着替え、腰には受付引き換えでもらったファイテンのチタンテープを貼りました。そして着替えたものを再び預けて、走り始めます。でも結局この弥栄庁舎のエイドに多分10分ぐらいはいたのじゃないでしょうか。自分でもこんなゆっくりしていて大丈夫なのか、と思いましたし、5月に武庫川を走ったときに再び走るときにかなり足が重かったことが頭にあったのですが、この100kmではドリンクを結構飲んだにもかかわらずそういったことはなかったです。


事前にルートマップや距離、位置関係などは頭に入れていたつもりですが、碇高原が70km地点だったか、80km地点だったか、よく分からない状況になっていました。弥栄庁舎を出てすぐ、碇高原の道路標識があり、坂を上っていく行程を目にして、ああ60kmから70kmが碇高原頂上への道なんだと、納得。すぐに坂を上ることになり、そのことが逆に構えることなく、坂道を登るための心構え的には良かったのかもしれません。


正直、今回の100kmは前回の隠岐の島のように何がなんでもレストまで歩かずにとか、制限時間12時間以内で、とか意識の奥底にはあったとしてもそれを表面下させないようにコントロールしていました。できるだけ闘志も出さず、自信過剰に陥らず、精神的に張り詰めないようにしました。もちろん完走したいという意欲がないと、総簡単には100kmという距離は難しいでしょうから、そのあたりのバランスをうまくとるように努力していました。


碇高原へののぼりはやはり高低差400m強だけあって、かなり厳しかったです。ただ、高さは半分程度ですが、七竜峠の二回目、このときの方が自分としては苦しかった。それはこの碇高原への道では非常に歩いている人が多く、それを見るにつけ、「自分は絶対歩かない」と言い聞かせて、一歩一歩歩を進め、前のランナーを追い抜いていくことができたからだと思います。やはり練習との違いは他者との比較が行えるところです。そこで優位に立つと自然と力がみなぎってくる。これはもう人間の性なんじゃないかと思うほどです。


碇高原のエイドについて、二回目の着替えの荷物を受け取りましたが、着替えはもういいだろうということで、ここまで腰につけてきたポーチを外して、残り30kmは何も持たずに走るようにしました。ポーチには携帯も持ってきたので、メールチェックをすると会社の役員から状況をうかがうメールが来ていましたので、返信しました。その時刻が12時49分。スタートから実に8時間20分が過ぎていました。そしてこの携帯も一緒に預けて残りの道を走り始めました。


ここからは一気に駆け下りる感じで、ペースも若干上がり気味。ただ、やっぱりトラウマというのはありますね。隠岐の島で下りをパーッといってしまって最終的に足が動かなくなり、倒れたので、折りきった後も20km走らないといけないということを考えると、必要以上にスピードを上げることができませんでした。冷静に考えて、前回足が止まったのはその後倒れたこととの因果関係を考えると脱水症状になって血液のめぐりが悪くなったためで、筋肉疲労のためではありませんでしたから、ここはもっとスピードを上げてもよかったのかな、と今にしてみれば思います。


坂を折りきってからは平坦だと自分の中では勝手に思っていたのですが、これもあまりの楽観的な地図の読み方ということが身にしみてわかったのが90kmを過ぎたあたりにあった上り坂。確かにルートマップではのぼりになっているのですが、碇高原の印象が強すぎてまったく脳裏には刻まれていませんでした。


それでも歩くことなく、エイドでのドリンク補給、糖分補給、頭に水をかけての冷却を欠かさずに前へ前へと進みました。ドリンク補給は弥栄庁舎を過ぎたあたりですから60km手前ぐらいからは、おなかがたぷたぷする感じもあり、多少撮りすぎの様相もありました。ここもトラウマなんでしょうね。脱水症状をちょっと過度に心配した感じでしょうか。もちろん備えあれば憂いなし、たぷたぷでも体は水分で満たされて、パフォーマンスに影響が出にくい状態だったといえると思います。


最後の5kmを過ぎると残り5km表示から1kmごとに、残りkm数が表示されます。途中のエイドでも「エイドまでのこり1km」という案内が出ていたのですが、この表示にかなり力をもらいました。我ながら面白いなあと思ったのですが、それが1kmぐらいのあと少し、時間にして5分半から6分半ぐらいでしょうか。それで辿りつけると感がえると、歩を緩めたくないという感情がわきあがってきます。不思議なものです。


もう残り3kmになってくると、終わりの予感というか、終わっちゃうんだ、という思いがわいてきました。いつも自分が走っているコースに置き換えてみて、ここからならもうすぐだし、それまでの道程でも「完走できそうだ」とは思ったのですが、「完走は間違いない」とこのあたりで初めて思いました。


最後のエイドはゴールまで1.2km地点だったので、正直水分補給も何もいらなかったと思ったのですが、やはりこれまでのエイドと同じように黒糖をもらい、ウィグライウォーターをもらい、水をかぶって、ゴールを目指しました。


アミティ丹後への道は住民の方が、とても多く応援してくれました。「残り500m切っていますよ」の掛け声。それまでにもナンバーカードを見てパンフレットにある名簿リストから名前を探してくれて「竹村さん、がんばって」と言ってくれる人がいたり、農家の方だと思うのですが、軒先に梨をもってくれて、ナイフと「食べていって」のメッセージを残してくれている方がいたり、七竜峠やその他の場所で、仮設の給水所でカシスジュースやコーラを配っている人がいたり、といろんな人に応援してもらっての100kmでした。これは一人ひとりに深く感謝の声を伝えることはできませんでしたが、とてもありがたいことです。


アミティ丹後のゴールに入る手前、カーブを右折し、会場へと向かう道に入ったとき、MCで自分の名前とコメントがコールされました。「このコメント、いつ書いたっけ?」と思いながら走って、「ああ、受付のアンケートに書いたんだ」と思い出したところがゴールでした。タイムは11時間35分57秒。


ゴール後、僕は自然と、ほんとに自然と、これまで走ってきた方向を向いて礼をしてしまいました。よくスポーツ選手がやる行為ですが、まさかあの行為が自然に出るとは思いもせず、自分でびっくりしてしまいました。


完走のメダルを女子高生だか女子中学生だかにかけてもらいました。ドリンクはもらいましたが、もうおなかはたぷたぷで、あまり飲むことができませんでした。そして余韻を楽しむ暇もなく、17時30分の特急に間に合うように、と着替えを急ぎ、無料の網野駅へのピストンバスに乗り込み、会場を後にしました。


網野駅で応援してくれた会社の役員からの電話に応えて、「もう二度とやりたくないです」と言っている自分がいました。本音だったとは思います。ただ、いままたその本音は少し変わっています。もう少しうまくやれたんじゃないか、という自分がいます。それはつまりまた新しく挑戦してみたいと思っている証拠かも知れません。


11時間半も走っているわけですから、ここから学んだことはとても大きいことだと思います。それが具体的に何かということはまだわかりません。もしかしたら、はっきりとその形をつかむことは難しい類のものかも知れません。それでもそこから何かを学んだことには違いなく、それを次に生かしていかないといけないな、と今は思っています。


先週同様、30km走しましたが、暑いですね・・・。

いや、実はそれほど暑くはないのかも知れないですが、どうも暑さを感じやすいというか。

隠岐の島の後遺症ともいうべき、不安な自分がいるんですかね。

去年もこの時期走っていたとは思うのですが、ちょっと気になりすぎかも。

ただ距離もちょっと違うので。

それにしても20km超えてくると、倒れんじゃないかという不安はありますので、早めに頭に水かけたりします。で、そのときに、やっぱり水飲んじゃってカラダがさらに水を求めます。

このときがやはり苦しいです。スピードも落ちます。

ある程度我慢すればまた水を求めないのですが、今度は精神的に水を求める場所を探したりします。

水飲むと楽なんです。そのときは。

もちろんすぐに汗に変わってしまうので、ぜんぜん蓄積されないので、さらに水分枯渇状態になるので、結構くるしいです。

この悪循環がよくないですね。

しかし給水はしなければ、脱水状態になりますし、なかなか難しいところです。

今朝は12km。早朝5時半前から走りましたが、もう暑いですね。

土曜日30km、これも同じ時間帯から行きましたが、後半は足もなかなか動きません。

もちろん30kmのときはこの夏初めて給水ボトルを持って走ったのですが、前半はともかく、後半は全部飲みきっても汗ですべてなくなってしまいます。

26km地点の公園で給水しても、残り4kmは地獄でした。まあ、なんとか歩かずに最後まで走りきったという感じですが、これだと距離に対する不安はやっぱり出ますね。

それにしても今日の12kmもハードです。いつものことながらコース形態としてはこちらの方が断然苦しいので、やむをえないかなとは思いますが、これぐらいの距離なら正直バテずに走りたいものです。

丹後100kmウルトラマラソン、エントリーしちゃいましたので、隠岐の島のリベンジとともに30代での100km完走の目標を達成したいと思います。