6月21日、隠岐の島100kmウルトラマラソンに出場しました。
前日から入って前夜祭に参加、缶ビールと缶チューハイをもらい、9時45分ごろ就寝。3時半起床で、前日コンビニで買ったパンと大福もち、そしてヴァームを摂りました。眠くはありませんでしたが、夜中に二度ほど目が覚めて緊張していたのかな、と思います。
スタートは5時。小雨がぱらつく天気で走りやすい天候かと思いましたが、これが実はくわせものでした。確かに前半はある程度楽に走ることができたと思います。めがねをぬらしながらですが、沿道には朝、早くから島民の方が応援に出てきてくれていまして、いつもはそんな余裕もないので、返事ができないのですが、できる限りお礼をいいながら走りました。
5kmの通過タイムが25'58''、10kmが50'45''、15kmが1:16'39''と特に遅いというわけではないかと思うので、順調に走っていました。20kmも1:41'12''で通過。ちょっと坂があったので遅いですが、100kmのペースとしてはまあこんなもんでしょう。
そもそもこの隠岐の島100kmウルトラマラソンの制限時間は14時間なんですが、僕は12時間で戻りたいと思っていました。それはなるべく早くという理由ではなく、18:00最終の高速船で母親のいる西ノ島に渡る必要があったからです。ですので、それ以上遅くなると島に渡れなくなることを懸念していたのです。
前半、レストステーションまでの48.5kmを出来れば5時間、そして残り半分を7時間で走りたい、というのがひとつのプランでした。そのプランどおりのペースでは走れていたので、自分ではまずまずと思っていました。
このコースですが、25kmから35km過ぎまで250mの山へ向かう高い坂道を上り下りしなくてはならず、ここが最大の難関とにらんでいました。そして実際、その坂はかなりの体力と精神力を消耗していきました。それでも必死になってこの坂を克服し、下りでは少しでも距離を稼ぐためにペースアップしました。この坂を乗り切れば、と思って踏ん張っていたのですが、結果的にそれは少し間違っていたようです。
巨大な坂の群れをこなしたあと、レストステーションまでの道を急いでいたのですが、実はもう1箇所はっきりとわかる坂があったのを見落としていました。巨大な坂に比べればなんてことはないのですが、もうレストステーションまでに坂はないと思い込んでいたので、その坂の出現には少々精神的に萎えた部分が出てしまいました。
といってもこれを乗り越えればと、思っていたのですが、もう体の方は限界が来ていたのでしょう。このころには早朝の雨はすっかり上がり、日も差し始めて、急激に温度は上昇していました。後で調べてわかったのですが、こういうとき、梅雨どきの湿度が高いときの温度上昇によって熱中症は起こりやすいとのこと。まさに熱中症になりやすい状況下で何も知らずに、レストステーションまで休憩なしでたどり着くことだけを考えていました。
30kmの通過が2:40'18''、35kmが3:15'27''、40kmが3:45'33''。そしてちょうどフルに相当する42km通過時点が4:00'43でした。この時点でレストステーションまであと6.5km。なんとか目標の時間以内にはたどり着けそう・・・そう思ってしばらくしてだったと思います。もうこの辺は記憶がかなりあいまいなのですが、おそらく43kmの標識は通過したんだと思いますが、そこで足がふらふらとして、「あれ、あれ」と思ったのですが、自分では単に疲れてきてそうなったとしか思わず、止まろうともしませんでした。
でも次の瞬間、手にしびれが来て、からだが横に流れて、おそらく道路わきの盛り上がった土を覆う草むらに倒れこんだんだと思います。そのとき、おそらく気を失ったのかも知れません。しばらくして巡回の人が声をかけてくれました。そこからの記憶はありますし、倒れて気を失っていたのはほんの数分あるかないかだと思います。その目を覚ましたとき、僕は体の異様な暑さを感じました。そしてなぜか、いないはずの長女(9歳)は大丈夫か、と思いました。もう一人の僕が子どもはいない、何を寝ぼけていると諭しますが、しばらくするとまた、子供はこの暑さで耐えられるか、などと思ったりしていました。
巡回の人がまた違うスタッフに指示して、ドリンクを持ってきてくれました。そして頭から首の後ろに水をかけたりしてくれました。その時点で少し立ち上がろうとしましたが、足が全くいうことを聞きません。頭は比較的しっかりしてきましたが、体を動かすことができませんでした。
救護の車が来るのでまったいてください、といわれたのですが、その時間がとてつもなく長い時間に思われました。実際には10分あるかないかだったかも知れません。このときにはもうリタイアは宣言していて、夕方の船に間に合うかどうかだけを気にしていました。でもまだ朝の9時半ごろだったはずで、冷静な判断がすでにできない状態になっていました
救護車が来て、ずぶぬれになった僕を後部シートの寝かせてくれました。シートはビニールがかぶせてあるので、濡れても平気といわれました。とてもありがたかったです。そして冷えてはいけないからとバスタオルをかけてくれました。これも嬉しかったです。この救護の車からはレストステーションに向かう多くのランナーが見えました。さっきまで同じ立場だったランナーですが、もう自分は違う場所にいることを認識していました。ただ、もっと走りたかったとか悔しいという気持ちはこの時点では全く起きず、そういう意味では冷静にランナーを見ていました。
レストステーションに運ばれて、簡易テントの救護室に運ばれて、医師の先生の診察を受けました。血圧を測り、血圧が低いということで、横になり、点滴をすることになりました。先生の診断では軽い熱中症だろう、ということでした。気を失っていましたか、といわれたのであまり記憶にはないけれど、気を失っていなかったと思う、というと、すぐに手当てができてよかった、しばらくほうっておくと酷いことになるいわれました。
点滴の間、テントの中で寝転んでいましたが、その間も体温を図ったり、何度も血圧を測ったり、看護師の方(私服でTシャツ姿ではありましたが)にもよくしてもらい、ドリンクをとりにいってもらたり、レストステーションに預けている荷物をとりにいってもらったりしました。ほんとにいろいろと迷惑をかけたな、と思う反面、この頃には足もしっかりうごくようになっていて、特に問題なく意識もはっきりしていていたので、軽症でよかったと胸をなでおろしていました。
点滴が終わって、先生にはお礼を言って、その後はレストステーションでしばらくドリンクを多めにとるように言われたのと、喉のかわきは収まらなかったので、何杯も水分をとりました。着替えをして、少しだけ軽食をとり、多くのランナーが通過していくのを見ながら、リタイア収容バスで、ゴール地点へ向かいました。
僕の隠岐の島ウルトラマラソンはこんな風にして終わってしまい、初のリタイアレースとなりました。最後まで走りきれなったことは残念ですが、今回は致し方なかった、なるべくしてなったと思っています。ですので、この経験を次に生かすようにして、ハーフ、フル、ウルトラへ生かしたい、そして出来れば来年の隠岐の島でそれを生かして完走できればと思っています。