綬音です♩

 

 毎日いくつの「愛」を受け取っていますか?

 

 嫌なことが目の前に現れた時、それはあなたが自分を大事にしていないことへのメッセージですショボーン

 

 そのメッセージからの、内側のあなたからの愛は感じれていますでしょうか?

 

 わたしは今まで感じれていませんでした・・・あせる

 

 嫌なことがあると、それについて自分にとってどのように「いい」と解釈するか?には取り組んできましたが、それが人間関係であれば、その人からの愛だとはとても思えませんでした。

 

 この世界は自分の写し鏡。だから、目の前の嫌な人も結局は自分そのものなんだ・・・。

 わかってたつもりですが・・・。なかなか実感としては体感できていなかった・・・。

 

 今なら、本当にそうだと思えます。

 わたしの心が反映して、全てが起こっていると感じざるを得ません。

 

 「本当に幸せになりたい」

 

 そう思えば思うほどに、自分に起こっていることが自分の望んでいることなんだとわかりました。

 それが、自分にとって受け入れがたいことだとしてもね。

 

 だからこそ、人間関係でのトラブルは相手がどーのこーのではなく自分からのメッセージなんです。

 

 人から大切に扱われなければ、自分を大切に扱っていません。人のことが許せないのなら自分のことが許せないのです。

 

 対人関係のトラブル=自分とのトラブルです。

 

 嫌なことへ自分が反応すればするほどに、増強して嫌なことが起こってきます。

 

 嫌なことやいいこと、そこには必ず自分自身に向けたメッセージがあります。

 

 良いことならまだしも、嫌なことが起こった時ほど人は自分の内側を蚊帳の外に起き外側だけを見てしまいます。

 

 人にされたこと(外側)に腹を立てるよりも重要なことは、自分を粗末に扱っていないか?ってことです。自分の本当の声(内側)を押さえ込んだり、無視したり、ほうっておいたり、裏切ったり、責め立てたり、批判したり、比較したり、無能だと扱っていませんか?

 

 あなたが嫌なことと思うことを知らず知らずに自分にしてたり、あなたという存在を無下に扱っていませんか?

 

 わたしの例でいうと、最近わたしは違う意識に向かっていたのにそれを無意識で認めてあげていなかったんです。

 

 私の中のわたしは、違う意識になってますよ〜と外の私に発信していました。わたしは何も感じないで過ごしていました。

 

 でも、もうはっきりと前の意識が私の中になくなったんだと自覚する出来事が起きました。

 

 その出来事はわたしにとってはいい気分をもたらすという形ではやってきませんでした。新しい意識からのメッセージだと認識することはできました。これはこれで終わらせておけば良かったのですが、わたしは気分が悪いことに焦点を合わせてしまいました叫び

 

 どうなるか?といったら、また気分が悪くなることが起きました。

 

 ここで、「わたしの中の何がこれを起こさせているのだろう?」と疑問を投げかけました。

 

 そしたら、気分の悪くなった出来事の中に、内側からのメッセージがありました。

 

 わたしはメッセージを感じ、気分が悪くなることを繰り返すということから抜け出すことが出来たのです。

 

 これらの経験はとてもいい勉強になりました。わたしは、自分自身の内側から発しているメッセージにわたしは最初「愛」を見いだすことができませんでした。

 

 起こる出来事に対してわたしが何をしていたかというと、わたしは嫌な相手に祈っていました。怒りを抱えながら(笑)

 

 ここからもう怒りが起こる可能性を作っているのです。

 

 そう怒りは「ある」

 

 「ある」んですから、あるものは再び起こるんです。

 

 気分を害することに焦点をあてると、それを認めていることに他なりません。どんなに嫌だと感じていても、そこに注目する行為は「OK」と言うに等しいのです。

 

 行動分析学においても、良いことや悪いことに対する行動によって結果が変わります。

 

 「行動」=「注目」「反応」という風に解釈すると、嫌なことが起こった時ほど、そこには注目も反応もせず、対象を変えて「気分をよくすること」に注目や反応、行動することだけでいいってことです。

 

 無理に、自分に起きたことをあーだこーだと反応し注目するよりも、ただ気分を良くする方に最善を尽くす。

 

 たったこれだけで状況は変わってきます。

 

 それには、普段から散りばめられている自分が気分が良くなる「愛」の要素をどんな場面からも見つけられる才能を磨くことだとわたしは感じてます。

 

 自分がどうなりたいか?

 

 「わたしはハッピーに毎日を過ごしたいアップ

 

 ただそれだけなんです。

 

 私が祈るとしたら、祈りをささげる相手は他ならぬ私だったのです。わたしに必要な祈りは自分自身がすでに幸せがもたらされる感覚で祈ることでした。現実的に言うと、自分の機嫌や調子の悪さを知ることが必要でした。だから、わたしの内側を知らずに嫌なことが起こった時にどんなに自分の気分を良くする為の行動を起こしても、内側のわたしが本当に望んでいることではまったくないので、気分が悪くなることが起こるを繰り返してしまったのです。

 

 わたしの「愛」と「気分を害する」要素の比率を「愛」を多くすることに働きかけるだけで良かった。そのためには「愛」を見つけるだけで良かったのです。

 

 今日のわたしは自分の気分がよくなるために

 

これ聴いてます(笑) 

朝からもう20回くらい聴いてます♩

甘くてスイートな曲にわたしのハートは幸せ感に包まれてますハート

 

内側の自分への私からの贈り物ですウインク

 

こんなことパートナーに言われたら、もうたちまちハート全開ラブラブラブキスマークキスマークになっちゃうね(笑)

 

自分にちゃんと「愛の言葉」贈っていますか?

 

ハッピーでいたければ、ハッピーでいることに情熱を燃やすドキドキ

 

はぁ〜何度聴いても幸せになります音譜