卒業式の季節。

最近は子どもの節目節目の行事には両親ともに参加するとのこと。


幼稚園の卒園式、小学校の入学、卒業。もちろんその間にある運動会なども。


ここまではなんとなく呑み込める。

が、中学、高校、そして大学まで両親出席に私は驚いてしまう。

最近は就職活動で親御さんへの説明会があったりするなども聞く。


ちょっと私には信じられないくらいの子煩悩に見えるのだけど、それくらい我が子の成長の節目を見届けることが親としてやりたいことでもあるし、当然のようで。


私なぞは企業戦士とばかりに外に働きに行く父、家を預かる母の核家族形態で育った昭和世代。

父はまだ土曜日は半ドンで、仕事があったし、そもそも多くのサラリーマン世帯の父親は子どもの行事のために休暇を取るなんてなかった。


卒業式だって母が小学校は参列したけど、それ以降はない。

短大の入学式も母はいたけれど、卒業式は、はて、いたかしら。

ともかく、父はいなかったし当然、ホームビデオをまわす撮影係として、こぞって参列するなんて時代ではなかった。


両親どちらも参列しないなんて、かわいそう。寂しくなかった?


なんて聞かれてもピンとこない。

その当時の父親像とはそういうもので、寂しいなんて思ったこともない。


むしろ大きくなっても両親どちらも参列していたら、嬉しくなくはないけど、いつまでもちいちゃい子どもみたいで、ちょっと恥ずかしいかったろうな、私は。


でも確かにアメリカなどでも大学の卒業式などには両親で参加するから、我が子の成長過程の儀式をきちんと見守るのは、親としても節目を確認する、よいタイミングになるのでしょうね。


悪いことは何もないけど、多分、聞いていて引っかかってしまうのは、両親ともに参列してあげなくちゃ"かわいそう"という言葉。


その日、父親が大事な仕事をしに出かけてたり、単身赴任ですごい遠方にいたとして、「参列できないのは仕方ないね」と言うなら、私は違うと思う。


子どもの行事は大事だけど、父あるいは母いずれでも、その日世のため人のため(結局、どんな仕事だって世のため、人の利のためなのだから)に出かけて参列できない時こそ仕事に誇りを持ち、その働きで子どもへの想いを見せられたらいいのではなかろうか。


時代が違えば子育ての形も違うから、その人たちの愛情が通じ合うならどんなだっていいと思う。


でも、入社式にも親御さんの席があったりするのは…、それも時代なのかしら。


今はそうなんだぁ、と受け流しています。

時代で価値観は本当に変わるから。