現在、毎日PCに向かっては
11月の公認ホルダー研修の資料作りをしています。

1時間19分のセッションを文章に起こす

3秒ほどのやり取りを聴きとっては、一時停止をし、
Word に打ち込む作業。


自分のセッションを何度も何度も観るのは
あんまり気持ちのイイものではなくダウン

自分の声や口調を何度も何度も耳にするのは
なんだかめげるものですガクリ


ホルダー(私)、母親と子ども、
3者の声を聞き分け、打ち込み、

手が動く、泣きが止まる、頬を保持する、足と張り合う、、、
という動作も全て、打ち込み、

ホルダーとしての意図するところも
記そうと思っているので、ホントに大変。。。


でも、大変なのは作業の煩雑さではなくて、


何よりも、自分のセッションの一部始終を
目を逸らさずに観るということガーン


自分で言うのもなんですがっ、
普段、溢れるほどの「愛」を引っ提げて
親子さんの前にいるつもりの私なのに、

この一言に「愛」はあるの?とか、
このしつこいアプローチに「愛」はあった?とか、
つい、思ってしまうううっ...


その場にいてセッションをしていたら見えなかったことが
わんさか見えて~

その場では聞こえなかったことが
何度も出てくる、大事なキーワードだったと分かり~
ちょっぴり落ち込みそうになる爆弾


お母さんの表情や声の張り、眉間のしわや苦笑い。
まだまだ自分は未熟だと改めて痛感する。


オーラソーマの15番を使っていることも助けてか、
自分の中の見ないで済んでいたものに、

わざわざ光を当て、
立ち止り、耳を澄まし、虫眼鏡を覗いて
見ているようなもの。


でも、それも全部わたし。
そこに、いつでもはあったはずだね。

だって、わたし、だものぉ ラブ