ナワリヌイ ショック | 晴耕走雨読

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反プーチンのカリスマ指導者として知られたナワリヌイ氏が死亡した

 

そこまでやるんだな!

恐怖政治は追い打ちをかける

ウクライナに亡命 その後スペインに移住していた元ロシア兵がハチの巣のように銃撃された状態で殺されたと報じられた

 

さてこの国でも

「蟹工船」「不在地主」などで知られるプロレタリア文学の作家、小林多喜二が官憲に非道な拷問の末虐殺された

90年前の2月21日であった

知人が語った多喜二の遺体の様子↓

「前歯は折れてる、首には細引きの跡、左のコメカミにはね、何でなぐったか十円硬貨ぐらいの傷あとがある。それから裸にしたところがね、身体中傷だらけで、オマケに腹の下から腿全体が紫色にふくれあがって、それがね、ふつうの人間の倍くらいあるんですよ。よく見ると、その両腿もには、釘か錐を打ちこんだような穴の跡が十五、六もあって、そこは皮が破けて青黒い肉がむきだしているんですよ。それで立会いの安田徳太郎博士が『これでは腸も膀胱も破けてますよ。腹の中は出血でいっぱいでしょう』と言ったんです。で、睾丸も、陰茎もね、普通の人の三倍くらい脹れあがって、やっぱり内出血で紫色になってるんです。指もね、人差し指が逆にヘシ折られてね、指の背中が手の甲へつくんですよ。」[14][15](他にも、作家の手塚英孝が『小林多喜二』に多くの築地署留置場での目撃者や遺体を見た者らの証言を詳細に記録、作家の手塚英孝が『小林多喜二』に遺体の凄惨さを描写詳細に記録している[16]。)

周りの者が着物を着せてから、母・セキが出てきた。セキは多喜二の遺体を抱きしめて、「息子は心臓がよかった、心臓マヒで死んだなんてウソだ[14]」「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか」と叫んだ ウイキペディアより

多喜二は29歳だった

当時の日本は今のロシアにあまりにも似ている 多喜二が虐殺された前の年には満鉄爆破事件を仕組んで人口国家満州国を作り、その後、地元民から奪った土地に多くの日本人を送り込んでいる ここはイスラエルの入植に似ている